(前回の続き)
当ブログの最近の記事 5. 6. 8. では「線状性」という単語を用いました。それを平易に表現すると、遠目からパッと見で「線に見える」と考えていただいて結構です。その様な「線状性」から受け取れる、または窺えるニュアンス等々を、横書き(左から右へ)で大まかに分類すると、
①「⎯⎯⤴︎」疑問形、②「⎯⎯⤵︎」命令形、③「⎯⎯→」観たままを一般的に表現した形……と、このような“形”( 〜〜 波線は例外扱い)になるかと。
要するに何事かを言語(ここでは「日本語」)で表現する際には、「線状性」である「糸の形」を、具体的には見えないが故に「意図」と呼んで、私たちの心や体や精神に響いて来たり、時に巻き付いたり、時に引っ掛け合ったり等々、そうして「物質化した言葉」が持つ役割及び性質、それが私が言いたい「線状性」です。
さて、話題を前回分へ戻すとして。
【②キリスト教の三位一体を否定しています。③信者には、統一協会はキリスト教の完成したものであると教えています。】
↑上記②【キリスト教の三位一体を否定しています。】←この一文を、「線状性」の性質から見ると、【こんな感じ。】←つまり「打ち消した」という「行い」になりますね。という事は、生前の文鮮明氏は「『キリスト教の三位一体』を打ち消し線で打ち消した」。また更にその上に、③【信者には、統一協会はキリスト教の完成したものであると教えています。】と、何重にも?信者の数だけ?3) の記事で記した【イエスに何かを「着せた or 被せたor 重ねた」事】……←これ。「イエスの言葉(←ホントか?否か?は別として)」に虚偽で嘘(=己の衣)を着せ、被せ、重ね、それをやり続けた……という身から出た錆=己の所業の報い=【真っ黒い汚泥水に頭を何度も何度も突っ込まされ続けている】という訳でした。
過去より勉強会やブログ等で私は、「自分が他者に吐いたり使った『言葉(:糸が絡む)』には『責任』が発生して来る」と言って来ました。私が持つ裏見(=恨み)を晴らしたい理由として、闇から出た言葉を「光に晒したい」からです。もちろん私に対して放ってくださった言葉たちにも、遠慮なくお返ししたい内容が山ほどあります。それは追々に取っておくとして、今しばらくは「宗教」界や「スピリチュアル」界や「見えない世界」等を含め、暗躍している界隈で吐かれた言葉の収拾に努めたいと思っております(当然「広められた言葉たち」にも同様であれ★)。 R5.5.13㈯23:56