シリウスから来た女part 2&0次元からの真理の仕組み&ハピわくサークル

見得ない世界で横行する事実関係の説明がつかない「スピリチュアル詐欺ビジネス」。 見た目の華やかさから足を踏み入れてしまったばっかりに、各スピ教祖の利己満妄想スピの呪縛から、本物の霊的世界の様相を知り、みんなが真心から繋がって生きていくためのサークルです。

ハピわくサークルでは、「子どもと大人が安心して支え合える地域社会」を目指しています。 ひとりとひとり、みんながみんな、お互いがそれぞれで心豊かに生きられる、そんな色とりどりな工夫をご一緒にしていきませんか?

3-8⑴-2)大川隆法 [太陽の法:5多次元の宇宙(後編)] を論破

注:前回の続きです。以下【 】内が「太陽の法」からの原文、(青字)が私の解説等です。では。

【5多次元の宇宙(前回の続き)

 四次元世界になると、三次元の世界の縦、横、高さに加えて、時間が要素として入ってきます。(←これは「現在の学術的見解」と同じですかね。)すなわち、三次元世界では、同一空間内に存在する事物は、同一時間を共有しているのですが、四次元ではそうではない。三次元世界で私たちが握手する人間、接する事物は、何年何月何日の何時という同じ時間、時点に必ず存在するわけですが、四次元世界になると、そうではなくなるということです。(←大川流解釈ではこのような文言になるようですが、私の解釈では「魂の次元が四次元」であり、それが「座標系の考え方」になります。) 

 つまり、よりわかりやすく説明すると、次元の住人は、たとえば、握手している人間同士が、同じ時代の人間とは限らないということです。鎌倉時代の人間と昭和時代の人間が、同じ場所で握手できる。三次元では絶対にありえないことが起こるわけです。ですから、次元世界では、たとえ目の前に建物が建っていても、その建物が、現在建っているのか、あるいは、過去にあった建物の幻影を見ているのかは、わからない。ただし、幻影であったとしても、はっきりした手ざわりがあり、実在感はあります。(←これらの現象は、「魂の次元だから」派生しているに過ぎません。魂の次元=四次元では、ありとあらゆる時間や空間の壁(=障壁)を乗り越えて、ただ在る「現象」を意図の力で体現している、という表現が妥当かと。) 

 このように、次元世界においては、それぞれの人間が持っている時計の針が指し示す時刻は同じではありません。ですから、次元世界で平安時代を生きた女性と会っても、当時とかわらない二十代の若々しさであらわれてくるのです。(←これも上記私の解説で説明できる様相です。)

 予知の原理についても同様のことがいえます。つまり、次元世界においては、三次元世界で将来起こることも、まるで現在あるがごとくにあらわれてくることが可能なのです。(←この記述内容も、上述の解説同様「魂の次元だから」説明可能になります。)

 五次元世界になると、さらにもうひとつの要素が加わります。ここでは、縦、横、高さ、時間に精神が加わり、五つの要素が、この世界を決定しています。 すなわち、五次元世界の住人は、自分と他人を区別するためには、縦、横、高さからくる形状が同一であるかどうか、同じ時代の人であるかどうか、そして、精神性の程度に差があるかどうかを基準とするのです。(←ここで彼が説いている「五次元世界に精神が加わる」という観点は、私からすれば、図形の四角形の土台に、五角形として一つの糸が加わるという構図になることを意味している現象です。それを座標「十」が基礎になり四方に伸び進む「土台(←次の元)」に、精神という一線(=一つの糸)を加えた形、それは「意図」すなわち糸を表し、それが「意思の力を発揮できる」という意味合いになります。なので、【すなわち、五次元世界の住人は、自分と他人を区別するためには、縦、横、高さからくる形状が同一であるかどうか、同じ時代の人であるかどうか、そして、精神性の程度に差があるかどうかを基準とするのです。】←この説明では実態に対する「的を射て」はいません。ということは、彼は「本質を理解していなかった」ことになりますね。)

 つまり、精神性に目覚めた人であること、人間が、物質的な肉体人間ではないということに目覚めた人であることが五次元世界の住人の条件となります。精神性の尺度は、主として、「善」です。五次元世界とは、すなわち、善人たちが集まっているところなのです。(←私に言わせれば、この彼の解釈が真逆=天と地を逆に捉えている。私から観たこの世の実情を説明すると、この世の覇者的傾向を心根に持つ「五次元世界の住人」は、その意識のどこかで「民衆の上に君臨して良い」という、何かの意図的な考え(=「強者は弱者を牛耳って良いんだ!!」風)に囚われている状態です。それはテレビ等から窺える国際情勢として、肩書きに「君主制」を名乗り、権力者としてその勢力を国民?民衆?に対し振り翳し、何しても良いんだという了見が見受けられている。ちまたでも君主風なのか?&末世故か、自分の利益にそぐわない一人間の命に対しても、なんら躊躇なく蹂躙できる、なんともお粗末、且つ「恥知らずな人間」が多く見受けられています。ままその逆も然りで、多かれ少なかれ自分自身に与えられた意思の力=エネルギーを、ふんだんにアート=芸術として使える、そうした感覚を持っている人間も、末世故か?往々にして多く輩出される、それが「五次元世界」的感覚ではないかと。←あくまでも私の主観。) 

 さらに六次元世界に入ると、縦、横、高さ、時間、精神という五つの要素に加えて、神知識という要素が入ってきます。つまり、この世界では、形状が同じか、同じ時代か、同じぐらいの精神性をもっているか、お互いにどれだけ神仏についての知識をもっているかが、自他を区別する基準になるわけです。六次元世界の住人となる資格は、道徳的な善人であり、かつ神仏についての知識をかねそなえている人であるかどうかによります。もちろん、神知識の量には多い、少ないの個人差があり、これが六次元世界における段階の差になっておりますが、神仏を信じない人は、少なくても六次元世界にはひとりもおりません。(←恐縮ですが、私自身も「六次元(←これがシリウス的思考を司っている)の住人」という感覚を持ち合わせています。その感覚は、「人間が皆平等である事を知っている」、「利他という心の使い方を知っている」、「神は宇宙に広がる法則として、㊋と㊌のエネルギーがクロスするエネルギーの形であり、地球では{男•女}という性質にもそれが現れていることを知っている」。神知識とは、宇宙創生のエネルギーがどのような仕組みによって作(創)られ分配されているか?等々の構造やその仕掛け等々を知らされている、そのような自負が私には備わっています。)R5/6/4㈰23:47