シリウスから来た女part 2&0次元からの真理の仕組み&ハピわくサークル

見得ない世界で横行する事実関係の説明がつかない「スピリチュアル詐欺ビジネス」。 見た目の華やかさから足を踏み入れてしまったばっかりに、各スピ教祖の利己満妄想スピの呪縛から、本物の霊的世界の様相を知り、みんなが真心から繋がって生きていくためのサークルです。

ハピわくサークルでは、「子どもと大人が安心して支え合える地域社会」を目指しています。 ひとりとひとり、みんながみんな、お互いがそれぞれで心豊かに生きられる、そんな色とりどりな工夫をご一緒にしていきませんか?

61.シリウスから来た女part.2「中道でのみ『中庸』が適う」

いくら聞いても聞いていても、一向に無くならない愚痴の正体とは、「自分が“正しい”と考える事」、それに依る「その“正しい位置”に居る」という、この思い込みが原因ではないか?と気が付いた。その発想自体が中道から外れ、色が付いているフィルター(=色眼鏡)での意識から物事を捉えて観て考えている、という証明に感じられた。……とても厄介な状態だ。……さて、どうした“モノ”か??】のつづきから

 

 人それぞれで「考え方」や「価値観」等は様々だと思う。だが、一人間がその一生を生きる上で、自分の認識が「間違っている」や「合っている」と感じ取る五官の感覚は、その後に知るであろう「正しい答え」を得ることによってのみ、判定(=ジャッジ)される“モノ”ではないだろうか。その上で次を問うが、それとは異する感覚、つまり正しいか?どうか?答えが分からない内から、またはそれらを知る前であるにも関わらず、常に自分の考え(=出した答え)”が、または意見や価値観等が、「“正しい”と思い込んでいる状態」を、私は『錯覚』と捉え、そのような状態を引いて観ている=俯瞰してしまう自分が居る。なので、私自身の考えを「正しいと思う“事”」自体をして来なかった。なので、先述愚痴が口を突いて出て来る人の「正しさ」が、正しいとは思えず、むしろ「間違っているのではないか」と考えてしまう方が大概の場合に多かった。

 しかし愚痴を吐いて自分自身を正当化している状態では、「中道」という光が降りている範疇で捉える、所謂「中庸」という考え方の状態からは逸脱してしまう。そして更に、「偏る目」=偏見で、常に物事を判断してしまう癖が付くので、本来の中道故に働く直観(←素人が喜ぶ「直感」とは全く違う単語)という機能が働かなくなる。且つ、中道内を汚してしまうのだ。

 それがどんな時でも「常にそう思い込んでいた」らしい人たちが居た……と気が付いたのも、最初の個人セッションから「真理を学びたい希望者たち」を募集し始めた頃だった。それくらい私は、他者の考え方には無頓着で生きて来ていたのだ(←それとは違う「視点」で観ること*1に時間を費やしていた)

 ……ちなみに、私は自分の思うことや考えが、他人の視点で『正しい』と思われているかどうかを考える事がほとんどなかった。他人は他人の考え方が有って然るべしで良いと考えていたからだが、ただ『正しい』風を装うことで、他者や周囲の人たちとの距離に分離感を与えないように、またはそれを悟られないようにする、そうした立ち位置に終始していた。

 しかし私には、それをハッキリしっかり言葉にして伝えることができない、むしろ濁して伝えたり、遠回りして「自分で気づいてください!!」という立ち振る舞いをしてしまう、優柔不断な自分が居た。もっとしっかりした方が……良いよな。でも、どうしたら??が分からなかった。 つづく R5/8/15㈫23:55

*1:←追々白状する予定