シリウスから来た女part 2&0次元からの真理の仕組み&ハピわくサークル

見得ない世界で横行する事実関係の説明がつかない「スピリチュアル詐欺ビジネス」。 見た目の華やかさから足を踏み入れてしまったばっかりに、各スピ教祖の利己満妄想スピの呪縛から、本物の霊的世界の様相を知り、みんなが真心から繋がって生きていくためのサークルです。

ハピわくサークルでは、「子どもと大人が安心して支え合える地域社会」を目指しています。 ひとりとひとり、みんながみんな、お互いがそれぞれで心豊かに生きられる、そんな色とりどりな工夫をご一緒にしていきませんか?

59.シリウスから来た女part.2「チャクラの個人差」

以下引用文(四角枠)内が「太陽の法(大川隆法著)」からの原文、赤字が私の解説等です。(以下文中の太字は、原文での傍点箇所)

[(3-62)[太陽の法:9最後までねばりぬけ]…以下は個人的な体験談、且つご意見と判断し、ダメ出しはほぼ割愛します。

 勇気とは、大切なものです。そして、勇気をふるい起こしたとき、人間は、自らが大力量人であることに気づくのです。しかし、ひとたび自らが大力量人であることを悟り、病床から立ちあがり、力強い人生を生きはじめた人であっても、あるいは、唯物思想の迷妄を断ちきって、神理に目覚めた人であっても、この三次元の物質界の波動を受けつづけ、三次元人間の誘惑にひっかかりはじめると、 だんだんに気力がうすれてゆくときがきます。

 しかし、そのときこそが、歯をくいしばって、がんばるべきときなのです。マラソンでも、同じです。その途中で放棄したくなるような、苦しいときが必ずきます。そういうときに、そこで、投げてしまったら、だれもが勝利のチャンスを失ってしまいます。つまり、その競技で、完走ということはありえなくなるのです。

 しかし、その苦しい期間を通りすぎると、なぜか、足が軽くなり、最後まで走りつづけることができます。そういう不思議を経験した人は、たくさんいるはずです。水泳でも、同じです。息が苦しくなって、泳ぐのをやめたくなったとき、まけるものかと、歯をくいしばってを泳ぎつづけていると、やがて自分の体が水と一体となり、波のごとく、泳ぎつづけることができるのです。

 もちろん人生は、マラソンや水泳とはちがいます。しかし、同じように、苦しくても、耐え忍ぶべき時期というものがあるのです。そして、そういう時期をねばりぬいたとき、ひとつの自信を得るとともに、神の光明を密接に感じることができるようになるのです。

 私事で恐縮ですが、私にも、そういう時期がありました。生来、田舎育ちで、愚鈍であった私ですが、小学校のころから、「自分は頭が悪いから、人の二倍、三倍努力して、やっと一人前だ。社会に出て、世間の役に立つような人間になるには、ほかの人が眠っているときに、寸暇をおしんで、四倍、五倍の努力をしなければいけない」と考えていました。

 十歳のときのことですが、四国の山奥で、寒い冬、毛布を腰に巻き、手袋をはめて、 夜おそくまで勉強していた私自身をおぼえています。暖房がなかったからです。ただ、十代の自分をふりかえると、まったく亀のようであったと思います。私は、兎のようにあかぬけた秀才にはなれなかったのです。

 田舎育ちの少年は、十八歳の春、三十キロを越す本をバックにつめ込んで、東京駅に降りたちました。まだ凍えるほどの寒さだったというのに、顔を上気させ、汗を流しながら、どうやって渋谷駅に行ったらよいかがわからず、途方にくれていたのです。この春、東京大学文科一類を受験して、二次試験不合格となりました。 翌年は、蛍雪一年の功があって、なんとかすべり込みました。

 しかし、東大法学部の学生は、全国から集まった秀才ばかりで、たちまちにして私は、劣等感の虜になってしまったのです。それゆえに、人と会うと大言壮語を吐く(←はれ?これ、私が最初の方でツッコんでいた言葉だ)。そういう自分がいやとなり、やがて対人恐怖となり、下宿にこもって、本ばかり読むようになっていました。

 大学二年の冬から、翌年の夏までは、都会育ちの才気煥発な女性に心魅かれて、ラブレターを書きつづけていたことをおぼえています。ラブレターを書きつづけて、半年後、やっと便せん一枚だけ返事がきました。それをもって、二階にあがる階段の途中で、太陽の光にすけて見えるその手紙の薄さに落胆しました。私は、彼女へのラブレターを、小包にして送っていたのです。

 私はその彼女とは、わずか一度しか話したことがありません。私は、対人恐怖に輪をかけた赤面恐怖症で、若い女性とは、ひとこと、ふたこと話すだけで、あとは上気してしまい、話にならなくなったからです。

 失意のなかでも、私は、亀のごとく、本だけは読みつづけておりました。頭が鈍るという理由から、夕食の量を減らしてまで、法律と政治学の勉強をしました。しかし、一年の留年ののち、司法試験は、短答式試験には合格するも、論文試験には不合格。国家上級公務員試験も不合格。東大に助手として残ろうとしたのですが、成績不良につき、その道もとざされてしまいました。そして、ある商社にやっとひろわれた感じで就職したのです。

 十歳のとき、四国の山のなかで、白手袋に息を吹きかけながら、赤い耳をして、寒さのなかで勉強していた自分の姿を思い出すと、私は、涙が流れました。私は、この世的に成功しようとすると、つぎつぎと打ちくだかれていったのです。そして、自分のいつわりの人生をふりかえっては、こう思っていました。

「ああ、自分は世の中に対して、なにひとつ還元していない。自分は、自我我欲のままに生き、まったくの悪人になってしまった。いま、死ねば、きっと自分は、地獄の最深部に堕ちて、何百年ももだえ苦しむにちがいない」

 二十四歳の冬、私は、高橋圭子著の『真・創世記 地獄編』『天上編』などを読み、これを通して、さらに高橋信次著『心の発見』と出会ったのです。夜あけ前が、いちばん闇は深く、運命は、ひらける前に、その底につきあたるのです。そして、とうとう、運命の歯車がまわりはじめました。大学卒業前の、卒業試験のころでした。

 

 

 

シリウスから来た女」の続編part2

精神的な世界観にみる「中道」という道から外れ、外道と呼ばれていた邪道が罷り通るようになったのが現在だ。この責任は……どこに?、誰に?一体どうなっているのか。】のつづきから

 前回記事の内容では、「中道内には“色”が存在できる要素がない」というお話をした。そして“色”とは“欲”望とも記した。実際には、欲を望むという行為は、体側にあるチャクラ、もしくは真下=肛門1次元のチャクラの、どこか色の付いたフィルター(=チャクラの窓や扉)に意識が在り、その窓から外を見ている状態であり、意識がその次元に居る=位置している=留まっているという状態で物事を見ている……故に、その次元(=階層)の発想に縛られている……と考えられた。

 しかし、上記はあくまでも私の環境である「中道の中から見得ている“意識”で考察していた現象」だった。故に断言できるほど、まだ確証は得られていなかった。

 

 ここで、再度前回記事の中段 ↓ 以下の内容に丸つき数字を当て、更に詳しく解説してみる。

それら五つの次元のチャクラの窓=扉は、ほぼ体側に張り付くようにして備わっている。

……②これを「事実」として受け止めると、実際の「中道内には色が付いていない」という事が推察されるだろう。またそれは、

「中道の内側となる環境には、色が備わる要素が無い」とも言えるのだ。

「管状」ということは、外界から色が入る要素を排除され、守られた環境である中道内では、「無彩色がその世界観」ということになる。

①について

 前提として、中道の構造は「“管”状」だと記した。その“管”状である中道の「側面」に、「窓」のような状態か、それとも扉のような状態になって、張り付いているのが2〜6次元の「チャクラ」だ。なぜ「窓」や「扉」と、物としては違う表現を使うのか?……それには「個人差がある」からだ。

②について

 先に【これを「事実」として受け止めると、】←こう前置きしているのは、「事実ではない状態」が含まれるからだ。事実ではない状態とは、①でも言及している通り、個人差があるからだ。

③について

 敢えて前文「中道の内側となる……(省略)」に対して【とも言えるのだ。】←これを補足に付け加えることで、前文の状況についてを肯定的に受け取れるように仕向けている。これには「そうではない状態」を加味させるために、敢えて“保険”として付け加えていた。(こうした(日本語の)副詞の使い方は、私の「言葉の責任」の果たし方であり、常套手段だ。読む側にもその責任はもちろん派生する。なので「言葉を正しく理解する事」も、各人が自立するための非常に大切な要素だ。)

……ということで、これにも「個人差はある」。

④について

 これに関しては、ほとんど例外がないと思われる。しかし、この無彩色の世界観を有する人間は、ほとんど見た事がない。

 

 という訳で、「外道」が罷り通る世界になったこの世の状態の責任は、一応全員にあるのではないか?という結論に達した。

 その上で、チャクラや中道の問題に関しては「個人差がある」事ばかりなのだった。つまりは何事に於いても「一概に言えない」事ばかりで、せっかく日本語の真髄が理解できる所まで来たというのに、且つこの世では「見えない世界の真理」を明るみに出すことへ……それらを論じることへの決定打を打てないのだと覚った。

 だが私も、千載一遇で生まれて来た意義を諦める訳にもいかないので、その「個人差を理解する」ために、真理を学びたい人を対象として、個人セッションを開始し、そうして対面での「勉強会」をすることで、より深く人との関わりからそれらの事象を知るために、しばらくそのような状況に腰を据える覚悟した。

 そうして、闇=色の世界に入るためにはどうしたら良いか?という思案が続いた。 つづく R5/8/12㈯23:58