シリウスから来た女part 2&0次元からの真理の仕組み&ハピわくサークル

見得ない世界で横行する事実関係の説明がつかない「スピリチュアル詐欺ビジネス」。 見た目の華やかさから足を踏み入れてしまったばっかりに、各スピ教祖の利己満妄想スピの呪縛から、本物の霊的世界の様相を知り、みんなが真心から繋がって生きていくためのサークルです。

ハピわくサークルでは、「子どもと大人が安心して支え合える地域社会」を目指しています。 ひとりとひとり、みんながみんな、お互いがそれぞれで心豊かに生きられる、そんな色とりどりな工夫をご一緒にしていきませんか?

33.シリウスから来た女part.2「未知=途と心の窓」

以下引用文(四角枠)内が「太陽の法(大川隆法著)」からの原文、赤字が私の解説等です。(以下文中の太字は、原文での傍点箇所)

[(3-37⑷-3)[太陽の法:4如心]…

 阿羅漢より、さらに高い悟りの境地を「如心」といいます。如心とは、自らの守護霊以上の霊格をもつ高級神霊界の指導を受けられる段階、すなわち、指導霊と霊的交流ができる段階です(←しかしなんで?この人、こんな「段階」や「霊格」の事ばっかり言って、まるで「大川が“それ”なんですよ、皆さん。こんなに色々知っている私を敬ってくださいねっ!!!!!!!」みたいな戯言を披露してばかりしているのだろうか。よっぽど自身の実力に「自信が無い」んだろうな。その裏返しが「ひけらかしたい態度」になるから★「醜さ(=視難さ)」の極み)。この指導霊とは、七次元菩薩以上の高級霊たちであります。この境地は、ほぼ不退転の境地です。ですから、よほどのことでもないかぎり、魔界の者たちに蹂躙されることはありません。なぜならば、諸如来、諸菩薩の指導を受けるようになってくると、光が強くなり、魔がよりつけなくなってくるからです。←こんな嘘っぱち、もうどうでもいい。良い子や分別のある大人はこういうはったりかましたがり屋さんの手口に引っかからないように。こんな事「知ったからって、どうでも良い内容」は信じないでください。また“魔”に受けて、怖がらせるよう恐怖心を煽ったり、そうしたフリをするのも「魔憑き人間」の常套手段ね。←オレオレ詐欺の「『騙されないでください』って、お前が言うな!!」的な。

 この如心の段階になってくると、心はいつも謙虚で、高ぶることなく、他人に対する奉仕、すなわち、どうすれば世の中の役に立てるか、どうすれば迷える人びとを救えるかといったことが、日々、心に去来することの中心になってきます。阿羅漢の境地からの転落の原因のほとんどは増上慢ですが、この不退転の如心の段階にいたると、利己主義、自己中心ということは姿を消すので、心は、つねに平静です。正しく念じる、正しく定に入るということがほんとうにできるようになるのも、この如心の段階からだといえます。←「生前の大川さん」がどういった人物だったか?を教えてくださる人がいらっしゃらないので、なんとも言えないが、私の心象としては「内心はいつも何かに怯え、ビクビクしていた小心者」に見得た。

 如心には、もうひとつの面があります。つまり、観自在に近づいてくると居ながらにして、何百キロも離れている人のことが手にとるようにわかるということです。たとえば、ある人の名前を見ただけで、たとえ地球の裏側にいる人であったとしても、その人の現在の心境、悩み、憑依霊、前世、前々世、前々々世、未来世までが、一瞬にしてわかるようになります。ここまでくると、修行者の悟りも、ほとんど、完成に近づいたといえます。←他人の了承も得ず、それも自分勝手な判断でする、覗き見行為を、「しても良い」と思っているあたりが「下衆の極み」。悪いが、そういう事にもちゃんと「落とし前(辞書より【落とし前 : 失敗・無礼の後始末。)はつけさせられるから。霊能力があるからとはいえ、やっても「良い事・悪い事」がきちんとある事くらい知っておいてもらいたかった。またそうした注意事項も説明しておいてもらいたい。以前大川自身も本書内で記してあったが、ちゃんとした霊能力は「人助け」にしか使用してはいけない“モノ”だから。無闇矢鱈に霊能力で「できるできる」だなんて、吹聴するのも当然自粛すべき事だ。

 

 

 

シリウスから来た女」の続編part2

31.今だから説ける「真実を伝える言葉」に置換・変換させてみる。】のつづきから

第四回資料より引用( : 第二センテンスは一行毎にナンバリングあり)

三途の川の意味

①彼岸とは、悟りの世界で、6次元のことです。②この世此岸は、迷いの世界で、三次元です。③即ち、6次元へ行くまでには、3つの次元(段階)「途:みちがあるという意味です。④3つの心の扉を開かねば(磨く)入れない場所、境地であります

⑤この際(死んで“三途の川”を渡る時)使用される六文銭は、6次元へ行くという象徴です。

 私の感覚で恐縮だが、「彼岸」はこの世=日本語では、「あの世」と訳していた。というか「あの世」と呼ばれている状態が、私の感覚では「彼岸」であり、それが「6次元」でもあった。故に資料①②で上記のような説明をしていた。

 他に「6次元」を表す世界観としては、「天国」とも訳されている。それは多分、「地獄」との対比でそう呼んでいるのではないかと思われる。俗に言う「差別のない世界」なので、皆が皆「平等・対等」であり、また価値観等を他者と争う事がない「平和」な状態が保たれている為、そうした世界観を「天国」として、受けとられているのではないだろうか。

 そして③では、「3次元」を物質世界「この世」と捉えると、「あの世」は「6次元」だと定義し、物質世界3次元から、心的霊的精神的な認識での6次元とは、当然だが上に3つの次元(段階)があるので、それを昇るための心的霊的精神的な「道:みち・路:みち:みち・径:みち がある」。だが「実際にはまだまだその先(6次元より更に上の次元)があるよ」という意味を込めて、途中の「途」を使っていた。

 ④では、そうして上に昇るための「3段階」とは、心の扉である「チャクラ」を指しているので、チャクラは心の窓として磨く必要があることを説いていた(前回大川へのダメ出し「心を磨く」は、心の扉である「チャクラを磨く」が正解だ。これは他の人からみたら、些細な事=細かい“事”かもしれないが、不肖私からしたら大問題だ。それくらい霊的構造体に対する初歩中の初歩の間違いであり、これを正さないと、その先々に説明が付かない事になる)。

 「境地」とは、心的態度で到達し得る場所=領域を指す言葉だが、達したとしても「その場所に居続ける」こと、つまりそのような精神状態を維持する事の方が、非常に困難なのだ。

 ⑤象徴的な文言であった「六文銭」については、私の幼少時のトラウマ的発想がそれを記させたが、大して深い意味はない。本日はここまで。 R5/7/17㈪23:53