シリウスから来た女part 2&0次元からの真理の仕組み&ハピわくサークル

見得ない世界で横行する事実関係の説明がつかない「スピリチュアル詐欺ビジネス」。 見た目の華やかさから足を踏み入れてしまったばっかりに、各スピ教祖の利己満妄想スピの呪縛から、本物の霊的世界の様相を知り、みんなが真心から繋がって生きていくためのサークルです。

ハピわくサークルでは、「子どもと大人が安心して支え合える地域社会」を目指しています。 ひとりとひとり、みんながみんな、お互いがそれぞれで心豊かに生きられる、そんな色とりどりな工夫をご一緒にしていきませんか?

30.シリウスから来た女part.2「第4回個人セッションのテーマ:『此岸』と『彼岸』」

以下引用文(四角枠)内が「太陽の法(大川隆法著)」からの原文、赤字が私の解説等です。(以下文中の太字は、原文での傍点箇所)

[(3-36)[太陽の法:3悟りの方法]…

 では、人間は、どのようにすれば悟ることができるのか。これが、つぎなる問題となります。悟りとは、人生のやりなおしをする過程で、さらに霊性、神性を磨くことですが、その霊性、神性を磨く方法とはなんなのかを考えると、そこには、さまざまな可能性と無限の道が用意されていることに気づきます。

 さまざまな可能性とは、すなわち、さまざまな修行方法です。仏教だけでなく、キリスト教でも、神道でも、儒教でも、道教でも、回教でも、なんらかの形で、修行の方法というものがあります。それゆえにこそ、生きている人間は、神仏の道を求めながらも、森のなかへと入ってしまうのです。迷路へと迷い込んでしまうのです。そして、あげくのはてに、どのような修行方法をとるかではなくて、なんの宗教がほんものの正しい宗教かということで考え込みはじめるのです。

 世界的大宗教とされているものは、なんらかの形で、すべて神の光のあらわれだといえます。ちまたの新興宗教はともかくとして、何百年、何千年にもわたって、人びとの心を揺さぶってやまない宗教において、人びとの尊敬を集めて、そのおとろえることを知らない指導者たちの人生には、神の光体としてのひとつの輝きがあるのです。ただその輝きは、教えの説かれた時代環境と、民族、風土によって、多少とも異なった色彩をおびております。

 しかし、過去の教えは、過去の教え。これからの新しい時代には新しい教えこそが、必要とされているのです。新しい教えの出現こそが、急務とされているのです。新しい修行方法こそが、模索されねばならないのです。ーー ここまでは同感。ーー

以下は、大川隆法氏が信じて実践していたと思われる一意見を著していると窺える内容なので、私からは特にありません。あくまでも大川氏の意見として参考にされる方がいらしても、それはそれで私がとやかく言える事でもないかと。

 悟りの方法とは、結局のところ、神仏の境地と、自己の境地とが、融合されていくための手だてなのです。神仏の心を心として生きるには、どうしたらよいのかという方法なのです。神理にそった生き方とはなにかを探ることなのです。

 そのために、ひとつには真説・八正道の道があり、いまひとつには、愛の発展段階説があるのです。仏教的に道を求めたい人は、真説・八正道を日々の指針として生きてゆくといいでしょう。なぜならば、そのなかに普遍の神理が説かれているからです。いくらきわめてもきわめても、きわめつくせない人間完成の道があるからです。

 正しく見、正しく語れる人が、一体どれだけいるでしょうか。正しく仕事をなし、正しく生活できる人が、一体何人いるのでしょうか。正しく念じ、正しく定に入るという、仏法の深奥の理をきわめつくした方とは、一体どれだけいるでしょうか。すなわち、この八正道の道というのも、一生かかっても到達しえない、悟りへの具体的な方法なのです。

 正しく見、正しく語れるようになるだけで、少なくても五年や十年はかかるはずです。 そして、それができるようになったと思ったならば、つぎは、正しく仕事をなし、正しく生活をするということに重点をおき、毎日を送ってごらんなさい。ここまでできれば、六次元神界の悟りは得られるはずです。

 正しく思い、正しく道に精進することがなんとかできるようになり、人生の途次で、どのような苦難がふりかかっても、不動心をもって、生き抜けるほどの鋼のような心ができたら、いわゆる阿羅漢の境地です。阿羅漢の境地とは、六次元神界から七次元菩薩界に入るための登竜門であり、ある程度、自分づくりができてきた状態です。人のささいなことばで心が動揺したり、ちょっとしたことで心がカーッとしたり、地位欲や名誉欲に、心が揺れているようでは、阿羅漢の境涯にいたっているとはいえません。

 現在、日本をはじめとする世界の各地に、さまざまな宗教家がおりますが、まず、その人の心と行ないをよくごらんなさい。たとえば、自分のことばが批判されると、すぐ激情に走る宗教指導者や、やたら地獄に堕ちるぞとか、罰があたるぞとかいって、目をつりあげて信者をおどし、金銭をまきあげている宗教指導者たちは、決して阿羅漢の境地に達してはいないのです。阿羅漢の境地とは、光の天使となるための第一段階です。ですから、心が、地位欲、名誉欲、金銭欲、情欲、怒り、にくしみ、愚痴に揺れているようでは、決して天来の宗教指導者とはいえないのです。

 まず、基本的な悟りの方法としては、この世的なことで心が揺れず、心がつねに清明で、自らの守護霊と通じあい、他人の気持ちが手にとるようにわかる段階、すなわち、阿羅漢の境地をめざすべきであります。これを経ずしては、それ以降の修行も、悟りも、ありえません。ですからまず、阿羅漢をめざすべきです。そして、それ以降の悟りのなかに、ほんものの神理に目覚めた世界があるのです。

 

 

 

シリウスから来た女」の続編part2

 参加者各人と個人セッションに取り組みながら回数を重ね、そのテーマ毎に導き出されていく道筋をまとめると、

24.一回、二回と個人セッションをして来た私が、皆それぞれに言える事、自分自身と向き合わない、向き合おうとしない「魂胆」とは、「恐怖」が原因だと思えたからだった。

25.「霊的自立を果たす」ためにはどうしたら良いのか?……それには、各個人が宇宙エネルギーを取り込み、循環させる七次元チャクラの回路を開放する。

26.結果的には「中道が開いてない」、それどころか、中道を使っていないのではないか?と思われるような状態(途中抜粋)

チャクラや中道のエネルギー回路を開けるには??と思案し(途中抜粋)

最初は「悩みが詰まらせる原因ではないか?」と考えていたことが、結果として仇となった

27.[何故に?『魂胆』と向き合おうとしないとダメなのか?](途中抜粋)

[……根本を突き止めなければならない理由とは?]←こんな作業、普通に楽したいだけで生きている人間にとって、嫌に決まっているでしょ??という話

28.人間は、「肉体」という障壁に守られていると思いがちで、「自分の内心の声」が、いかにして外に漏れ出ているか?の事実を知らない(また考えもしない)。

↑ これらから導き出され、見えて来た次なる「テーマ」が、本日のタイトル『此岸』と『彼岸』だった。以下、第4回目の資料をアップする。

 

第四回個人セッション資料

 まぁこの頃はまだまだトンチンカンな私だったので、参加される各々の「霊的心的精神的無知さ」と向き合いながら、次に知るべき事は何なのか?を模索し、本当の意味での「楽できる考え方」……それが「彼岸の世界観」であり、それ自体を知らないから、「生き地獄の現実」←「そのままで楽したい」という発想になり、「苦しむことを避ける生き方」をしてしまうのではないか??と考えた……という話だ。今はただ、この頃の自分自身に呆れるばかりなり。R5/7/14㈮23:02