シリウスから来た女part 2&0次元からの真理の仕組み&ハピわくサークル

見得ない世界で横行する事実関係の説明がつかない「スピリチュアル詐欺ビジネス」。 見た目の華やかさから足を踏み入れてしまったばっかりに、各スピ教祖の利己満妄想スピの呪縛から、本物の霊的世界の様相を知り、みんなが真心から繋がって生きていくためのサークルです。

ハピわくサークルでは、「子どもと大人が安心して支え合える地域社会」を目指しています。 ひとりとひとり、みんながみんな、お互いがそれぞれで心豊かに生きられる、そんな色とりどりな工夫をご一緒にしていきませんか?

25.シリウスから来た女part.2「宗教ほか『言葉の呪縛』から解放される事が“霊的自立”」

以下引用文(四角枠)内が「太陽の法(大川隆法著)」からの原文、赤字が私の解説等です。(以下文中の太字は、原文での傍点箇所)

[(3-31⑶-2)[太陽の法:8愛と八正道]…

 そして、第四の正念、正定とは、存在の愛の段階です。正念とは、正しく念じることです。正しく自分の未来設計をなし、正しき自己実現の姿を祈る。これが正念です。ところで、真理を求めている者にとって、正しき自己実現とは、なにを意味するのでしょうか。それは、神の子人間としての完成した姿を現します(←これこそ人それぞれだろう。それ=真理の求道者に「完成」を求める!!だなんて、押し付けないでもらいたい。精神的な部分に「完成を現す」とかいうその感性の方が異常)。神仏と一体の境地(←こうした境地には、ある時「気が付けば」そこに至っている、というだけの話だ)、すなわちこれ、如来の境地です(「如来」は人間みたいに生きて(=息して)苦しんでないから「如来」なんだ)。人間としての最高の姿(←人それぞれだろう。そして自分自身が最高と決め付ける事で、それが最高では無くなる。そういう無矛盾的問題)、そして、その人の存在自体が、世の人びとの尊敬の対象であり、その人の存在自体が、世の人びとに対する光明であるような人間となること(これも果たしての結果論。「世の人々の光明となるように!!」なんて考えで生きていたら、その人は驕りの状態の最たる者だろう。ただ生きるそれだけで価値を他者が認めてくれる。それが結果として、その人自身の存在事由であり存在の意義だろう)。 それが正しく念じるということであり、正しき人生目標の究極の姿だといえます(こんな一個人=大川隆法論の見解での「究極の人性論」に惑わされてはいけない★)

 また、正定⎯⎯正しく定に入るということ、正しい瞑想状態に入ることは、宗教者として、神理を求める者としては、最高段階の姿なのです(嘘だ。想像してみてくれ。「正しい瞑想」状態なんか、誰にも教えることはできない。ただの便宜上での言葉の綾釣り(=操り)。文字面だけで酔っ払っている道理に従ってはいけない★)。古来、宗教家たちはヨガだとか、座禅だとか、止観だとか、あるいは、反省的瞑想だとか、さまざまな精神統一をして、高級神霊との交流を求めました。まず、正定には、日々の反省のなかに、 自らの守護霊と交流する段階があります。さらに天命を遂行すべく、指導する霊との交流があり、最終段階として、上段階光の指導霊、如来界の人びとと交信する段階があります。←これだって、現に「あるかどうか」も確信できないだろう内容だ。それを、さも「ありますよ!!」と教祖擬きが言ってしまったら、そうした「言葉を信じ込んでしまう信者」を付け狙う悪魔や悪霊の恰好の餌となり、

まさに思う「壺=地獄」に取り込まれてしまうだけだ。

 生きている人間の心は、一念三千。如来の境地の悟りを得れば、正定のなかで、上一段階の大指導例との交流が可能となります。肉体を持った、八次元如来の方で、上段階の 光の天使から、直接、あるいは、間接の指導を受けていない人はひとりもおりません。最低限であっても、インスピレーションを受けて、自らの天職を遂行している。それだけは、確かです。←うっそ、「それだけは」なんかーい!! (←by大阪弁で)

 結論としていえば、存在の愛の段階に到達するには、正しく定に入ること、そして、正しい精神統一ができるということが前提となります。

 以上に述べてきたことは、ことばをかえていうならば、八正道にも、修行としての段階があり、 正見・正語 → 正業・正命 → 正思・正進→ 正念・正定と四段階にわけて修行にはげむとよいということです。

 このことは、すなわち、愛する愛ができるようになったら(←「愛ができるようになる」という表現はおかしくないか?……できる・できないの問題ではないだろうに。以下同文)、つぎに生かす愛の実践にはげみ、生かす愛の段階を経て、許す愛の段階にいたり、最終的には、存在の愛に達するというのと、同じだといえます。

 正見・正語なくして、正業・正命なく、また、正思・正進、正念・正定もありえません。同じように、愛する愛なくして、生かす愛も、許す愛も、存在の愛もありえないのです。いずれにせよ、まず、最初の段階がもっとも大切だということです。←↑ なんか、レトリック自体がまともじゃないから、反証する気も起きない。

 

 

 

シリウスから来た女」の続編part2

【資料:本当の賢さは、全ての事象を自分の事として受け止め、受け入れる態度。

 これが“宇宙の真理”を自分に引き込む“心的態度”です。】のつづきから

 上記の文章を読み解くその前に、前回記事「第三回個人セッション資料」から、次の疑問と向き合わないと先には進めないと考える。

①【皆それぞれに言える事、自分自身と向き合わない、向き合おうとしない「魂胆」とは、「恐怖」が原因だと思えたからだった。

……何故に?『魂胆』と向き合おうとしないとダメなのか?

②【資料:「何故それが恐いのか」根本をつきとめる。

……根本を突き止めなければならない理由とは?

 

 私は、常々「この世の大多数の人たちに『霊的自立』を果たしてもらいたい」と考えていた。それが本当の意味での幸せだと思っていた。

 事実長い間この世に蔓延り続ける宗教等の『言葉』の威力(=それぞれの教団や宗教団体等の側が作って縛り続けている「呪縛(=呪詛)」という罠)から解き放たれること、それが本来のあるがままの姿(←自由)の状態になることを目指しているからだ。実際、大多数の個人の生前や、その死後までも、言葉の威力=呪縛(呪詛)が重力となり、錘になって付き纏っていたり浮き上がれない等、この世に縛り付けて「成仏できない」でいる霊がうじゃうじゃ居る。

 では、その「霊的自立を果たす」ためにはどうしたら良いのか?……それには、各個人が宇宙エネルギーを取り込み、循環させる七次元チャクラの回路を開放する。そのために……次回以降につづく R5/7/9㈰23:57