シリウスから来た女part 2&0次元からの真理の仕組み&ハピわくサークル

見得ない世界で横行する事実関係の説明がつかない「スピリチュアル詐欺ビジネス」。 見た目の華やかさから足を踏み入れてしまったばっかりに、各スピ教祖の利己満妄想スピの呪縛から、本物の霊的世界の様相を知り、みんなが真心から繋がって生きていくためのサークルです。

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23.シリウスから来た女part.2「各次元の波動と世界観を解説」

以下引用文(四角枠)内が「太陽の法」からの原文、赤字が私の解説等です。(以下文中の太字は、原文での傍点箇所)

[(3-30)[太陽の法:7存在の愛と神の愛]…

「許す愛」を超えた、さらに一段と高い愛とはなにか。私はそれを、「存在の愛」と名づけます。この愛はもはや、一対一の愛ではありません。上下関係さえも超えた愛なのです(←下線部は同意)。「存在の愛」とは、その人がこの世に存在するだけで、その人が私たちの人生のある瞬間を通過するだけで、私たちを転迷開悟させるような、私たちの人生を一変化させるような、私たちを廻心に導くような、そうした愛だといえます。たまたま同じ時代に、この地上に その人が生きているだけで、世界が明るくなり、人類に希望の灯がともされるような、そうした人の存在。その人がだれかを愛するから、それを愛だというのではないのです。その人が美しいことばを語るから、それを愛だというのではないのです。その人がやさしくしてくれるから、それを愛だというのではないのです。その人の存在自体が愛であり、愛そのものが存在しているかのような人格をもった人。私たちは、その人のことを「存在の愛」の体現者と呼びましょう。こうした人は、人類の歴史のなかには、キラキラと輝いて確かに存在するのです。←上記は概ね同意。

「許す愛」が 徳高き宗教家の愛とするならば、この「存在の愛」は、人類史にそそり立つ偉人の愛であり、この世の光であり、時代の精神でもあるといえます。

 存在の愛とは、一対一の愛ではないといいましたが、それは一対多、あるいは、放射線のごとく発散されている愛なのです。すなわち、光の存在、光の化身なのです。

 ということは、この愛の段階が、いかなる境地かがわかるでしょう。そうです。これは、八次元如来界の愛なのです。ですから、その時代において、存在の愛となるほどの人は、すなわち、これ如来であり、この世に下生すること自体が、 人類に対するおおいなる慈悲なのです。慈悲とは、あまねく照らす愛の光であり、そこには、相手によって濃淡のあるような、「相対の愛」はありません。慈悲とは、いわば、「絶対の愛」であり、「不偏の愛」なのです。

「愛する愛」⎯⎯五次元、「生かす愛」⎯⎯六次元、「許す愛」⎯⎯七次元、「存在の愛」⎯⎯八次元。愛の段階を示すと、結局こういうことになります。ですから、私たちを修行の過程で目標とする愛は、こうした愛の段階を知っておけば、十分だといえます。←上記は概ね同意。

 愛には、もちろん、四次元的な愛もあります。四次元(=葛藤)の愛とは、「本能の愛」です。その本能の使い方によって、地獄界に通じたり、幽界(←二次元以下)(精霊界(←こちらが四次元))に通じたりしますが、少なくともこれは、修行者の目標とすべき愛ではありません。←そりゃそうだ。普通に生きているだけでこの修行はしている(していない人もいる)から。

 地球人類、最高の愛としては、九次元の愛というものもあります。これは、「神の化身としての愛」であり、「救世主の愛」です。私は、修行の目的として、世人にこの愛を目標とせよとはいいません。すなわち、この愛の段階は、神によって命ぜられた神の道具(←不肖私にはこの「神の道具」という意識が、物心ついた辺りから自覚があった。が救世主とは全く思っていない。「九次元」の“事”など畏れ多くて、とてもじゃないけど口に出来ない。さすが「二十次元が指導霊」と宣える輩は違う)として、最高の代理人として選ばれた人の愛だからです。もし、あやまった宗教家が、「救世主の愛」を説こうとすると、来世で待っているのは、九次元世界ではなく、四次元地獄界最深部の無間地獄です(←知ってて何故?……やっぱり「傀儡宗教の教祖」の顛末は酷い)。なぜならば、神の声をまちがって伝えるという行為は、実在界においては、 殺人、強盗以上の凶悪な犯罪行為だからです(←超同意する)。それは、生きている人間の生命以上に大切な永遠の魂までをもくさ(腐)らせてしまうからです(←こんなところでなんだが、この人=大川隆法は、魂までは腐らせてはいない。激流は激流でも水質は綺麗だ。なので、むしろ「被害者」と言えるだろう)

 ですから、私たちは、「存在の愛」の上には、単に「神の愛」があるのだと、神の人類に対するおおいなる導きの愛、進化を願う愛があるのだという事実をもって満足しなければいけません。←そうなのかも?知れん(=試練)。

 かくして、愛の発展段階には、努力以前の四次元(←あくまでもここは「二次元」ね。本能とは、動物由来の「習性」を指す言葉なので)の「本能の愛」のあと、「愛する愛」「生かす愛」「許す愛」「存在の愛」という努力の対象となる愛があって、最後に、人間心を超えた「神の愛」があるのです。←「愛」に種類と段階があるのは認めるけれども、それを次元や言葉で線引きできるか?否か?は、その人個人の「格=容量」の差もあるので、一人物の中でも雲泥の差の開き具合はあるのではないかと。なので正直なところ、私としてはなんとも言えない。しかし、「決めつけ(る“事”)」が「(己の首の)締め付け」を生んだ、好例ではないだろうか。

 

 

 

シリウスから来た女」の続編part2

 今回は、上記の故大川隆法氏がほとんど説明してくれなかった「各次元」についての、当初個人セッション用に私が使っていた資料を紹介します。

①各次元の解説

↑ こちらは拙書「アスタリスクの光」では旦那に清書してもらった図解(↓以下)の、元になったオリジナル版です。

②「アスタリスクの光」の資料

 2006年当時の状況では、不肖私がそれまでに読んでいた著作物で「各次元に対応したチャクラの説明」は、ほとんど拝見した事がなく、それと同時に、日付を失念してしまった(確か息子を妊娠していた時期)が、ある時フーッと①の図形と背景的イメージが頭の中に降りて来たもので、なんとなく新聞のチラシ裏にスケッチしメモを書き残しておき、それを清書したものだ。

 横に説明書きを添えてあるが、いまいち世界観等は伝わらないと思うので、そのうちYouTubeを利用して口頭で説明していきたい。それでもほぼほぼ大川隆法の文章への私のツッコミした内容に、解説等も入力して来ているので、なんとなくは伝わっているかもしれない。

 一応は資料として載せたので、責任上「現在の私の言葉」で文字化したものと併記してみる。

 

◉七次元:ピラミッドパワー

当時の解説:光の世界の入り口→災いの無くなる世界

 ◎七次元(現在の解説):天界からの光が降りる次元。このチャクラの回路が開いていると、インスピレーション等(芸術面等)が日常で起こりやすい。

◉六次元(3+3)

当時の解説:※波動で、コミュニケイトする→回りと一体化(自分と相手との調和((同調)))

 ◎六次元(現在の解説):中性子の軌道になぞらえるように、この次元の情報が元(塩基配列)になり、地球上の物質全般が作られている。なので、自然界やあらゆる物事と調和する次元。上記※下線部頭の中で会話できるという意味。

◉五次元:(3+2)

当時の解説:口に出して相手に伝える→自己主張(紙、言葉で表現しようとする)

 ◎五次元(現在の解説):言葉そのものが、この次元感覚で構成され出来上がっている。故に、言葉巧みにさまざまな事案(騙し騙され合い等含め)が行われている。

◉四次元:(2+2)

当時の解説:私達もあなた達もいていい→葛藤が生まれる(どんな人も受け入れようとする)

 ◎四次元(現在の解説):この次元(=四角形)で「物事を捉える“視覚”」ができ、人間的関係性という「お互い“様”」を知り合える。=葛藤を生む(:心の状態が表面化する次元)。

◉三次元:(立体)

当時の解説:自分から見た状況判断→自分が1番(甲乙=病の気の世界)

 ◎三次元(現在の解説):三角形という形から、平面的(=皆平等)であるにもかかわらず、自分自身の立ち位置に重きが置かれ、結果お山の大将的思考に陥り易い次元。それがある意味「我がままに生きられる(=唯我独尊←釈迦はこんな言葉は言ってない)」。

◉二次元:(平面)

当時の解説:あなた(自分以外)と私→好き嫌い

 ◎二次元(現在の解説):平面的というよりシーソーのような二者対立する感覚的次元。例えば、好きな“モノ”には興味を示し、嫌いと判断した者,物,“モノ”には寄り付かない。ある意味「わがまま」な状態。上記三次元は本人の意思での選択的「我がまま」であるが、こちら二次元は、本人がただ「我がまま」である。その“事”に本人すら気づかないで過ごしている状態。

◉一次元:(点)

当時の解説:自分の回りは皆、“敵”→1人ぼっち

 ◎一次元(現在の解説):周り中が「全て敵に見えている」状態であるから、他者がとにかく信じられない。その念が凝り固まり、度がひどくなるとプーチン他、独裁者が陥る状態となる。

本日は以上。R5/7/7㈮23:55