シリウスから来た女part 2&0次元からの真理の仕組み&ハピわくサークル

見得ない世界で横行する事実関係の説明がつかない「スピリチュアル詐欺ビジネス」。 見た目の華やかさから足を踏み入れてしまったばっかりに、各スピ教祖の利己満妄想スピの呪縛から、本物の霊的世界の様相を知り、みんなが真心から繋がって生きていくためのサークルです。

ハピわくサークルでは、「子どもと大人が安心して支え合える地域社会」を目指しています。 ひとりとひとり、みんながみんな、お互いがそれぞれで心豊かに生きられる、そんな色とりどりな工夫をご一緒にしていきませんか?

12.シリウスから来た女part.2「真理に“信仰心”は不要。逆に邪魔」

以下引用文(四角枠)内が「太陽の法」からの原文、赤字が私の解説等です。

 

[(3-19⑵-3)[太陽の法:6魂の進化]…

 これが、大宇宙の進化の法則の根本の理由です。自らが創造した意識・魂が、どんどん進化、発展、向上して、自分をめざして成長してくるのを、神は、かぎりなくやさしい愛情の眼でもって、見まもっておられるのです。浅ましさ-その6 ウチら如き小さき物たちをどうやって大宇宙の神が認識して見守ってくれているのか?根拠を示せ★

 つぎに、ではどうしたら、魂は進化できるかについて説明しましょう。←多分この大川はその仕組みを知らされていない。

 魂の進化を示すひとつの指標は、光の量です。実在界においては、光の量を見れば、魂の成長度は一目瞭然です。これは地上に出ている人間でも同じで、その人の魂の修行が進み、悟ってくるにしたがって、だんだんに光の量がふえてきます。ですから、いわゆる後光というものがさしてきて、霊視がきく者が見れば、その人の悟りの段階が簡単にわかってしまいます。←「光の量」って……光にも色んな種類があることを知らんのか?この人。こんなアバウトな説明で済ませられる神経がそもそも胡散臭爆発。

 心が地獄界に通じている者は、その後光も暗く、うすぼんやりしており、ところどころ、地獄霊に憑依されている部分が白くなって動いていたりするので、すぐに、それとわかってしまいます。(←よく言うよ。自分も率先して?真っ逆さまの真っ暗闇に落ちて行ったじゃないか!!) 心が四次元幽界(精霊界)に通じている者は、全身および、後頭部に一、二センチぐらいのオーラが出ているだけです。心が五次元霊界に通じている者は、後頭部に三、四センチぐらいの後光が出ています。←視覚的な説明も超アバウト。

 心が六次元神界に通じてくると、後光も丸く、大きくなって、十センチぐらいは出ています。六次元でも、上段階の光の天使、諸天善神になってくると、後光が小さな丸いおぼんのようになって、金色に輝いています。七次元の菩薩界の心に通じていると、肩の上に、四、五十センチぐらいの金の輪がかかっています。そして、八次元如来界の心に通じると、そのまわりがほんのり明るくなるほどの光が一、二メートルにわたって放射されています。←こんな人に天使界のあれこれを語ってもらいたくない★

 このように、魂の進化は、その光の量によってあらわされます。すなわち、魂が進化するためには、神の光をできるだけ多く受けいれられる器になってゆかねばならないということなのです。ですから、そうなるためには、自分の心に神の光をさえぎるようなくもりをつくらないようにしなければなりません。そして、魂の修行を熱心に積んで、 器を大きくしていかなくてはならないのです。←こんな簡単な説明で、一人ひとりの進化の道程が表現できるわけもない。案の定この人「無明」だ。目に見えている光の量は狼霊が見せているだけ。元々は「おとなしく内向的、且つ線が細く、根は暗い人間」のように窺える。←これ、悪口じゃないよ。

 

 

シリウスから来た女」の続編part2

(「個人セッションが必要」と、私が判断した理由から)

中でも「③に該当する人」ではないかと考えた。それも当然だが、「わがままさ」と「巻かれたい人」の対(になる人たち)に、真理を習得すること自体(=土台)が無理だと思われた。その理由は……(分かる人には分かるはずだが★)】のつづきから

 

 得てして「大まかに分類する」との話になるが、②我がままタイプの人間は、「他人を巻き込む事」で“自分”という存在の利用価値を高めたがる傾向があるような(ないような)。例「私は有名な誰々を知っている(←「だから何?」っていう話)」。

 ①の人は、②タイプの強気な態度に、つい釣(=吊)られ、連なってしまう「追随タイプ」の人間なので、あまり自分の主張めいた発言や、集団行動に於ける積極的な態度は不得手のような……あくまでも真理の勉強会に集うタイプの人に関してを述べているので、さら〜と流してもらって結構な話だが。

 しかし、私が皆に学んでいただきたい「(霊的)真理」に関する内容こそ、見えない世界での真実=実相でもあり、それこそが「光の法則」と言える“モノ”だ。大川が主張するガセネタでは決してない。超々微細粒子から派生する世界観であり、「思い」が形作られて「事象」として見得て来る、それと同時に「霊的自立が適う」学問でもある。

 私が教えられるのは、その人の「天と点(=中道)」を結ぶ為の理屈(=理論)と、それについての仕組みを説明するだけだ。あとは各自が自分の頭で「自ら考える癖を付ける」こと。それをしない限りは、いつまでも宗教にすがって生きる「信者体質」=何でも鵜呑みしてしまい、理論という「明るい道筋」が全く理解できない、所謂「真理の実践」ができない人間になってしまう。それではせっかくこの世に生まれ出て「真理を学ぶ」意味がなくなってしまうのだ。

 ……ということで、これまでの神への忠義みたいな「信仰心」は不要、逆に「信仰心みたいな感情」は、持っている方が色々と感覚的な邪魔をするので全くの無用なのだ。それよりも何よりも、私の使う日本語が、「分かるか?分からないか?」がカギで、それが非常に大事であり、且つ切実な問題なのだった。 R5/6/26㈪23:32