シリウスから来た女part 2&0次元からの真理の仕組み&ハピわくサークル

見得ない世界で横行する事実関係の説明がつかない「スピリチュアル詐欺ビジネス」。 見た目の華やかさから足を踏み入れてしまったばっかりに、各スピ教祖の利己満妄想スピの呪縛から、本物の霊的世界の様相を知り、みんなが真心から繋がって生きていくためのサークルです。

ハピわくサークルでは、「子どもと大人が安心して支え合える地域社会」を目指しています。 ひとりとひとり、みんながみんな、お互いがそれぞれで心豊かに生きられる、そんな色とりどりな工夫をご一緒にしていきませんか?

3.シリウスから来た女part.2「逆らわない」は無難なのか?

注:前々回の続きです。

以下【 】内が「太陽の法」からの原文、(赤字)が私の解説等です。では。

 

[(3-15⑵-2)[太陽の法:2魂の性質]

 古来から、善、悪二元論については、さまざまなことがいわれてきました。その根本問題は、神のつくられた世界に、なぜ、悪が存在するのか、悪とは、自ら神自らのなかにひそむ性質なのかということでした。しかし、悪は、もちろんのことながら、神自らの性質ではありません。悪とは、神から自由を与えられた者同士の相剋、お互いの自由と自由とがぶつかりあって、一定の時間、ゆがみ(歪み)なり、ひずみ(歪み)が、心の世界に、あるいは、現象世界にあらわれているものにすぎないのです。(←ここまでを読んでいると、大川は「悪」の捉え方が「善」としての立ち位置でしか見ていないようだ。この片方からの見地でする発想自体が「歪み」を生じる。

私はある時期まで光の中から「悪」としての「黒い物質」を観て来たので、色んな人たちがそれを毛嫌いする理由が分からなかった。大川のような「自分自身を“善”だ!!」と完全に思い込んでしまっている人物だから、このような【神がつくられた世界になぜ悪が存在するのか】等の発想が出て来る訳だ。「善•悪」の二元論(=視野が狭い)だな、こりゃまいった★)

 魂の二番目の特徴としては、神の光の集中、発散中枢としての機能、性質をもっているということです。(これは正しい解釈と言える。)

 神の光とは、なにか。それはすなわち、大宇宙に満ち満ちている神のエネルギーです。地上界に太陽の光があるように、四次元以降の多次元宇宙、高次元宇宙に燦々とふりそそいでいる熱エネルギー、それが神の光なのです。地上世界の生物は、太陽の熱エネルギーなくしては生きてゆくことができません。それと同様、四次元以降の実在の世界においても、神の光、神の熱エネルギーなくしては、生命体は生きてゆけないのです。(また【四次元以降の実在の世界においても、神の光、神の熱エネルギーなくしては、生命体は生きてゆけないのです。】←こんなおかしな事を言っている。神のエネルギーが宇宙に充満しているのはよく分かる。なので、宇宙に存在する「生命体」の括りには、我々「三次元存在」も含まれているはずだ。三次元存在を語るには、その前段階の一次元や二次元的存在がなければ成立できないのが「三次元存在」、つまり我々物質的「生命体」だ。

しかしこの論には、意図的なのか?は分からないが、情報操作されている嫌いがある。私はたった今、我々人間=生命体を「三次元存在」と訳したが、肉体を持つほぼ全ての人間は、一次元から七次元までの次元感覚を有している存在でもある。

そして「四次元に『魂』が鎮座=存在している」ので、それが故に「神の光が届く次元が『四次元』である」と、先に定義、もしくは理を入れないといけないはずだ。この大川の論理が、「理論(←理=ブラッシュアップした論)」になり得ない理由がここにある。私が指摘するのは、こうした細かな要素や要点を、文章に起こす“事”を、省かされている……そうした「やらされている感」=「傀儡として操られている」感がひしひしと伝わって来てしまうのだ。……なんか、残念だ。)

↑ 短くて申し訳ない。土日故に勘弁してくれ〜☆彡

 

 

シリウスから来た女」の続編part2

(「個人セッションが必要」と、私が判断した理由から)

しかし、この道理が分からない女性陣にしたら、「どうして?小杉さんは霊界話をしてくれないの??こんなに人を集めたのに★」と訴える方が正しい、らしい。からのつづき

 

 当時の私は、「自分が正しい!!」と思い込んでいる女性に対して、ほとんど逆らう真似はした事がなかった。……というか、できなかった。何故できなかったのか?……ケンカになるから&文句を言われ、逆ギレされるから。たとえケンカ等にはならなくとも、仲が悪くなったり、その後の付き合い方に齟齬が生まれたり、対立するのは目に見える訳で。故に「逆らう」=逆流させるような人間関係を築kizuくよりは、傷kizu付かない、傷付けない方の道を選んで通っていた。←これが、「どうでも“良い人”」を演じているだけの私の人生のやり過ごし方だった。要するに「無難に過ごす生き方」だ。 

 女性同士の交流では、互いに互いを傷付けない、傷付けてはいけないという暗黙のルールが存在していた。それが何故か?は、水の性質がそうさせるのではないか?と漠然と感じていた。

 この無難に“事”をやり過ごす生き方は、とても楽だった。ほぼ誰とでも協調できるので生き易かった。……理由としては、感情的な凹凸(=波風)が無い平面(の道)を歩いた方が、学びや経験値(=険しい道や難局等)は少なくとも「転ばない」からだろう。十年以上もこの方策を選んで生きていた私にとって、また㊌系の「流され易い性格」も加わり、感情的な側面、特に「怒ikaる」面と向き合わされる事がなかったのだった。

次回へ続けます。おやすみなさい☆彡 R5/6/17㈯23:55