シリウスから来た女part 2&0次元からの真理の仕組み&ハピわくサークル

見得ない世界で横行する事実関係の説明がつかない「スピリチュアル詐欺ビジネス」。 見た目の華やかさから足を踏み入れてしまったばっかりに、各スピ教祖の利己満妄想スピの呪縛から、本物の霊的世界の様相を知り、みんなが真心から繋がって生きていくためのサークルです。

ハピわくサークルでは、「子どもと大人が安心して支え合える地域社会」を目指しています。 ひとりとひとり、みんながみんな、お互いがそれぞれで心豊かに生きられる、そんな色とりどりな工夫をご一緒にしていきませんか?

2.シリウスから来た女part.2「立て直し作業:ポイント①」

前回のテーマ「㊚の論♂︎と♀︎の理は真逆」の解説は、そのまま「シリウスから…part.2」に引き継いで進めます。尚、「論=立て&縦方向」を、「理=立て以外の横及び斜め方向(縦以外の全部)」と、これを大前提として進めていきます。この二つは大まかな「方向性」です。二極化に見得る傾向を「○○の性質」と言う言葉が示していました。その例として「男(性)•女(性)、善(性)•悪(性)、アルカリ性•酸性」等々が、また性が付かない二極の場合では、「表•裏、内•外」等がありますね。

私たち生身の人間にとっては最も重要な「方向性」を示す「男(性)•女(性)」については、「心の分野=主に横に広がる傾向を持つ特性㊌:女性性」、「精神の分野=主に縦方向に燃え上がる特性㊋:男性性」が摂理として存在しています。[ここでポイント:このような脳内に指針や基盤を設定・配置し、「思い」を起こす作業が「立て直し(=霊的自立)」です。各自が男女を問わず、考え方の指針やその方向性を改善していくうちに、自ずと「視野」や「視点」へも影響を与え、「真理」という宇宙から降り注いでいるはずの「光り」が、中道に下り、全身に光の循環が適うようになれば、肉眼や心眼で物事を捉えられ、“ビジョン”として視えていくはずです。

尚、この立て直し(=霊的自立)作業は、最初は仕方ないとしても、できる限り一人のみで行わず、どうせなら“異性”等を巻き込んで、「お前ならどう思う?、あなたならどう考える?」等と、ああだこうだと言いながら同士でやり合うと、互いの相乗効果が見込まれ、各階層による次元的感覚が増やせます。

なので、できれば何人かの人たちとセッション等しながら、心の交流が深められると、より一層社会の汚泥化に磨きがかかり、色んな人たちの「生きやすい環境」を整えてくれる事、請け合います。よろしくどうぞ☆彡←って、くれぐれもこの「智慧の独り占めは厳禁」ね。逐一見てるのよね、一人ひとりの中道に住む「天使と悪魔」が★]

ここで「」を表すシンボルを紹介します。男性優位「|」・女性優位「ー」をそれぞれ二つの極性をひとつにまとめた形「⨁」で表します。あまり表沙汰にはなりませんが、シンボルには「力」が働きます。それらも「方向性」という力学をうまく利用した作用です。ですが、これは男性女性論という問題ではなく、むしろ「LGBTQ」の解決策として、その前提として、全ての方向性を「いち人物」が内に秘め、網羅している、大きな「見地に立つ(=霊的自立)」ことでもあります。(←「魂磨き」では、こうした所々にいろんな法則が仕組まれている。法則の働き方も大して知らんくせに、知ったかぶりしすぎる嫌いは多々あり。こうした人たちがこれまでに吐いて来た、その「言葉の責任」は非常に大きいし重い。もう私は知らん顔はできない。故に糾弾もし断罪もしたい)(⨁を題目に使いながら、その意味を全然把握していないバカがいまだランキングで闊歩していました。悪しからず★)

「立て直し」作業には欠かせない要素、それが「方向性」であり、ミソ(=核心)です。

そして、今回から大川の文章を赤字でダメ出ししていた内容に、更に日本語の発祥ベース的な極意やその奥義も混えて解説し、『立て直し』する方向性の手がかりを手繰って行くことにトライしていきます。全箇所での解説や解釈し直しは到底無理ですが、私が引っかかった所だけは概ね可能と判断し、進めて参ります。……ということで、趣向が新たになります(「趣向」←これも「方向性」の“向き”ね)。それから、なるべく( )内の黒文字を小太文字で表記します。でないと私も読みづらいから。

注:前々回の続きです。

以下【 】内が「太陽の法」からの原文、(赤字)が私の解説等です。では。

 

[(3-15⑵-1)[太陽の法:2魂の性質]

 では、神の一部ともいわれる私たち自身の生命体、魂には、一体いかなる性質があるのでしょうか。私たちは、魂の性質を探求することによって、神の性質、性格の一端なりをかいま見ることができるはずです。(←これをこれからここでやっていくつもりです★)

 魂には、いくつかの特徴があります。(←魂は主に御霊の「鉱物」体。特徴といえば「好物」によって出来方が色々かもしれない★)その一番目の特徴とは、創造的性質です。魂は、自分の意思によって、自由自在に自分をつくりかえていく性質が与えられています。つまり、どのような思いをもった意識体であるかを、自分自身で決定できるということです。(←はあ。)

 たとえば、愛を最高度に発揮することもできるし、自由を最高度に発揮することもできる。心の思い(←【心の「思い」】の「思い」とは、「心の水質、及びその模様や様子を表現している単語」なので、「心の思い」と言う表現では、同じ“モノ”を重複していることになる。一般的な使用では、「心」の問題を前提として、敢えてそれを省いて「思い」とするだけで「心の状態」を表している。

ではなぜ?大川は「心の思い」としたのか??……思いの「重さ」の方を強調したかったのではないか?と★)によって、内在する光の量(←我々人間の状態では、光りは実質、本来「外から受け取っている“モノ=エネルギー”」。

もし仮に、それが内在するとしたら「蓄電した状態」だ。大川が「内在する」と思っていたのなら、それは男性的傾向が持つ㊋エネルギーの固まり、「“驕り”=我こそ神だ?!」の部分であり、そう思い込んでいる(固まり=)質量的な「重さ」と解釈できる。

それが彼の所謂「自信(=自負:光りの元)」となって、光エネルギーとしての放射を示していた可能性大)をコントロールすることも自由自在で、高次元的存在へと自分を高めてゆくこともできれば、光の量を落として、下次元的存在にすることも可能です。(←「光の量を落とす」と言うからには、上下運動している感情的な波=“モノ”と解釈できる。「光と闇とは表裏一体」と言われる所以は、その光量が大きければ大きいほど、エネルギーの元である核=物質=影(:闇)としての大きさも巨大になる。例「お空の星々」)

 それでは、悪を働いたり、悪を思ったり、堕落したりすることも、魂の性質なのでしょうか。地獄に堕ちたり、地獄をつくったりすることも、神の創造性によるものなのでしょうか。

 然り、然り。否、否。というのが答えです。

 なぜ、「然り」なのか、つまり魂には創造の自由が与えられており(魂は、総合的に言えば「その個人を映した記憶媒体」だから、ここで大川が指摘している創造したり想像したりする機能に関しては、「魂内の環境」を指し、それが所謂「意志や意思というエネルギー」の性質を表している。

ここで改めてこの著作物全般に言える事だが、大川の意識の動かし方は、流儀(:捉え方)が間違っていた。故に「業流(=激流)に流されている」と分析する。←換言すると、「生前の声(生)流の勢いに飲み込まれている」とも言える。……ある種「地獄」とはこうした各個人の心的環境が映し出す場所だ。自分自身で「善し・良し・好い」と思い込んでいる、その軸(=立ち位置とその視点)が二つも三つもズレているから、天から降っている真理の光りを、その個人の中道がキャッチできずに、暗闇の中で埋没させられているだけだ。こうした霊的に暗い環境を、明るくするのが霊的「真理」の勉強だ。←当ブログの趣旨だ☆彡)、自由が自由であるゆえんは、規制がないことと、妨げるものはないということだからです(←この「自由」と言う単語が曲者。その人が個人的にどうにでも考えられ、思い込むことができる、それも「自由」だ)。もし、規制や妨げがあるならば、それは自由ではなく、不自由となります(←他から与えられた「規制」や「妨げ」の場合だけが「不自由」ね。自分が作った不自由は、それこそ「自由」じゃないか?)。一方、なぜ、「否」かについては、魂そのものの本来目的は、悪を働いたり、地獄をつくったりするようにはできていないからです(←いやいや、他人から見れば十分「地獄」に見えても、それを「天国だ!!」と思っている人が居るのも「地獄」)。悪とは、魂そのもののなかにひそむ性質ではありません。悪とは、互いの魂の自由と自由とが相克するところに生まれたゆがみ(歪み)であり、ひずみ(歪み)なのです。(←いいや、これも言わせてもらえば「悪」は必ず必要だから必要悪だ。天使と悪魔も、両者が存在するから「平等」や「平衡」が適う。どちらか一方だけでは、何も「成“立”(←この状態が)」しない。こんなことも知らん分からんのかね。幼稚っぽ★)

 人間は、そもそも、自分ひとりでは、いかなる悪も犯しえません。つまり、悪とは、他人の存在、ほかの生命の存在、あるいはまた、ほかの物体の存在をもってはじめて、その姿をあらわしてくるものだからです。(←これはある意味「正論」。)

↑ まだまだ続きます。が、この作業だけでも殆疲れる。読んでくれているみなさんの方も、相当理解に苦しむかもしれませんが、悪しからず。

 

シリウスから来た女」の続編part2

【じゃあ、女性性の方は理で「磨いているから良いのか?」と言えば、それもダメだ。結局、見栄えばっかり=外見ばっかり、体裁ばっかり、言葉遣いや態度だけ可愛くや美しくを装ったところで、心=内面を磨こうという努力が、ほとんどの女性陣に垣間見れない。】のつづき

 

 先ず「個人セッションが必要」と、私が判断した理由から。(ポイント①:政府が掲げる「論理的思考」を獲得することは、「脳内構造(=魂内環境)を立て直す(整備する)」ためには、とっても有意義な方策だ。

 「論理的思考」をするためには、「どうしてそうなるのか?」という理由とその経緯を知り、それを「手かがり」とすることで、頭の中(=脳内環境)を明るく照らし、自分の居る暗闇の中の、前後左右や周囲の状況を踏まえ、「道筋」をはっきりさせる。それがその後の重要な「足がかり」になる。∴「立つ」ための極意。これら後先を“考えなし”にやり出すから、足元を掬われ、結果「つまづく→倒れる」。)

 ひとりのママ友の提案から始まった、小杉の「見えない世界の話を聞く会」。それは一旦は途切れ、別の形「障がい児を持つママ友の会」として変貌していった。

 私サイドの理由としては、多く人が集まれば、当然「見えない世界の話なんて聞きたくない!!」という方がいらっしゃる訳で。私の体質から、その聞きたくない人はすぐに分かった。なので敢えて「聞かせる」のには気が咎めた。なので、必然的にそんな話はしなくなっていった。だから私としては、その聞きたくない人を責めるのはお門違いなのだ。

 だがそんな事情を知らない発起人のママ友は、当然の如く「どうして話をしてくれないの?!!」と猛抗議された。

 本来であれば、「会合の趣旨を告知する」義務が発起人サイドにはあったはずだ。なので、その趣旨を言わない=告知しない方に責任があるはずで、それが道理としての考え方だ。しかし、この道理が分からない女性陣にしたら、「どうして?小杉さんは霊界話をしてくれないの??こんなに人を集めたのに★」と訴える方が正しい、らしい。……もう無理。次回へ続けます。おやすみなさい☆彡 R5/6/16㈮23:59