シリウスから来た女part 2&0次元からの真理の仕組み&ハピわくサークル

見得ない世界で横行する事実関係の説明がつかない「スピリチュアル詐欺ビジネス」。 見た目の華やかさから足を踏み入れてしまったばっかりに、各スピ教祖の利己満妄想スピの呪縛から、本物の霊的世界の様相を知り、みんなが真心から繋がって生きていくためのサークルです。

ハピわくサークルでは、「子どもと大人が安心して支え合える地域社会」を目指しています。 ひとりとひとり、みんながみんな、お互いがそれぞれで心豊かに生きられる、そんな色とりどりな工夫をご一緒にしていきませんか?

4.シリウスから来た女part.2「当たらず障らずの弊害」

注:前回の続きです。

以下【 】内が「太陽の法」からの原文、(赤字)が私の解説等です。では。

 

[(3-15-3)[太陽の法:2魂の性質]

 魂のなかには、この神の光を集中、吸収したり、発散、増幅したりする性質があるということなのです。そして、神の光を大量に吸収し、それを大量に放出することのできる人は、光の量が多い人といわれます。いわゆる光の指導霊と呼ばれている方たちです。すなわち、如来や菩薩といわれる方は、神の光を集中、放射するための巨大な機能をもっていて、ほかの人びとに、光を送り込むことができるのです。つまり、人びとの心に光明をつくり出してゆくことができるのです。(←これは事実。)

 人間の魂は、すべて、神の光を吸収発散しながら生きております。しかし、世の中を輝かせ、人びとの心を光明で満たすためには、神の光を放射している高級神霊、諸如来、諸菩薩という光の指導霊たちや光の天使たちには、パワトロンという装置が胸に輝いています。このパワトロンという装置は、自分のためではなく、ほかの人びとのために神の光を供給する人たちの証明なのです。ですから、地上で、自らを偉大な宗教的指導者だと称している方たちであっても、霊視して見て、その方の胸にパワトロンがついていなければ、ほんとうの光の天使ではありません。それは、霊視すれば、一目瞭然にわかります。(私には「パワトロン」という物質が、何なのかは分からない。だが今生イエスから直接首に掛けていただいた「涙型で小刻みなカットがたくさん入った光り輝く宝石」はある。他にも違う者たちから、その時々に必要な霊的武器や、いまだに何に使用するか?が分からない霊的産物もいただいて来た。これから「シリウスから…part.2」の中で、それらについても明らかにしたご報告ができると思う。……この大川に、私も霊視してもらいたかったな★笑)

 魂は、神の光の集中、発散機能をもっているわけですが、では、地獄界にいる悪霊たちはどうなるのでしょうか。彼らには、神の光エネルギーの供給はとめられているはずです。 とめられているというよりも、むしろ、彼らは、自らがつくった巨大な悪想念のエネルギーで、そのくもりで、神の光エネルギーをさえぎっているといったほうが良いでしょう。(これらの解釈は軸がズレていて、的を射てはいない。前回述べたが「見方が狭い」。)

 つまり、彼らは、ほらあなたのなかのように、暗くて、ジメジメしたところで生活をしているのです。彼らは、もはや、神のエネルギーを生命の糧としておりません。というのは、彼らがエネルギー源としているのは、地上界の人びとの心に巣くう想念だからです。地上界の人びとは、神の光を精神エネルギーとして吸収する一方では、食物を摂取して、それを生活エネルギーに転換している、いわば、自家発電をしているようなものだといえます。そして、この自家発電の電力をぬすみに来るのが、実は、地獄霊たちなのです。地上の人びとの心のくもっている部分、真黒な部分に、コンセントを取りつけて、そこからエネルギーをうばっているのです。すなわち、つぎつぎと人間に憑依しては、その人のエネルギーをうばい、そのひとの活力をうばい、その人の人生を狂わせてゆく。彼らは、いわば、生きている人間のエネルギーをうばう吸血鬼なのです。(概ねこの部分の解釈は内容的には正しいが、ここで【コンセント】と表現している部分が、私の言葉では「意図による“糸”」だ。それは「言葉遣い」というよりは、「心遣い」に影響や左右される「言葉の“念”」=「念力(粘力)」=「粘性による力」のことだ。例「恨めしや〜★」)

 こうした地獄霊に憑依されないようにするには、彼らに、コンセントを取りつけさせないことです(本当に【コンセント】であれば、差し込み口を作らなければ差し込まれない。故に繋がらない。だが霊的粘性の“糸”であれば、大抵の霊的物質には簡単にくっ付き、しかもどこに着いたか?本人にも分からないくらい巧妙にくっ付けられるので、その人の意識では認知できない。それなのに付けられた人の「もっともっと」と欲しがる気持ちが無意識に、くっ付く力に勢いを付けたり、回転を掛けたり等々してしまうので、いつの間にかグルグル巻きに巻き付かれ、取り込まれてしまう=虜toriko。「捕虜」みたいな感じか?な)。そのためには、地獄霊に通じている部分、つまり、心の薄暗い、ジメジメした部分をつくらないようにしなくてはなりません。(←こんな理屈は通用しない。自分が無意識に出してしまっている粘性の霊的物質に対する自覚、及びそれらを認知や認識できなきゃ到底無理だ。だから自分自身の内面を磨かないと!!、という話)とにかく、心のなかに、神の光を受け入れないガン細胞をつくらないことです(前述同文)。そうすれば、地獄霊たちは、エネルギーの供給を断たれるので、地獄というものはなくなってゆくはずです。(「地獄」の存在意義、その意味を知らない人は簡単に言うよね〜★彡)

 

シリウスから来た女」の続編part2

(「個人セッションが必要」と、私が判断した理由から)

感情的な側面、特に「怒ikaる」面と向き合わされる事がなかったのだった。からのつづき

 

 自分の感情を抑えたり押し殺していた訳ではない。むしろ感情的というか、喜怒哀楽はお相手やその場に集う人たちの、その時々の感情を、自分事として「生き写し」=鏡にする事で、表面的には対処できていた。

 ……しかしこの無難にやり過ごす「当たらず障らず」の生き方に、とうとう反転攻勢がやって来た。それが不肖私が「講話会でお話するスタイル」だった。

 せっかく「講話会」に足繁く通ってくださる人数が増えていったにも関わらず、私は徐々に限界を感じるようになっていった。何故なら毎回「新しい方達」がやって来て、私が使命として本当に話さなければならないと感じていた「真理の話」を、その新しい人たちに向けて「同じ話題」を何度も繰り返しし直さなければならなくなるのだ。しかし、それをやらないと、またしても「聞きたくない人=締め出されてしまう人が出る」、それが目に見えた。……私は元々「イジメ」や「仲間はずれ」や「除け者を出す」事、つまり「差別が大嫌い」だったからだ。

すみません、また次回へ続けます。おやすみなさい☆彡 R5/6/18㈰23:55