シリウスから来た女part 2&0次元からの真理の仕組み&ハピわくサークル

見得ない世界で横行する事実関係の説明がつかない「スピリチュアル詐欺ビジネス」。 見た目の華やかさから足を踏み入れてしまったばっかりに、各スピ教祖の利己満妄想スピの呪縛から、本物の霊的世界の様相を知り、みんなが真心から繋がって生きていくためのサークルです。

ハピわくサークルでは、「子どもと大人が安心して支え合える地域社会」を目指しています。 ひとりとひとり、みんながみんな、お互いがそれぞれで心豊かに生きられる、そんな色とりどりな工夫をご一緒にしていきませんか?

36.シリウスから来た女part.2「空の捉え方」

以下引用文(四角枠)内が「太陽の法(大川隆法著)」からの原文です。

[(3-40)[太陽の法:7太陽界の悟り]…以下こんなどうでもイイ情報に関わってダメ出しできるほど図太い神経は持ち合わせておらず、且つ脳みそに無駄な垢が溜まるだけなので、解説等はマジ割愛で。

 如来界の悟りとは、人体的な人間感覚を超えた一即多・多即一の悟りであり、霊とは、神の分光であり、形なきエネルギー体であり、姿なき知性である(←前回記事を参照あれ)ということを悟得することなのです。そして、生きている人間の悟りとしては、この境地は、ほぼ限界に近い境地だといえます。地球霊団の霊界人口は、数百億人おりますが、八次元如来界となると、わずか五百名たらずにすぎません。この事実を見ても、如来の悟りというものが、いかにきびしいかがわかるでしょう。

 如来の悟りとは、善悪二元を超えた、統一、止揚の段階に入った悟りです。ですから、単なる人生修行で自らを磨くだけでは不十分で、壮大な宇宙ドラマと、宇宙法則を理解し、体得するだけの明晰な理性と透徹した悟性が必要です。

 かつて、日本に生まれている八次元如来界人としては、どういう方がいるでしょうか。神代の時代はさておくとして、大化の改新のころの聖徳太子がそうです。平安時代の僧侶、空海鎌倉時代の僧侶、日蓮。昭和期に入ってからは、さきほどの西田幾多郎生長の家谷口雅春などがそうです。 ここにあげた以外にも、あと二、三名はおります。(←二、三名だったら挙げろや★その人たちに失礼だろうが。)

 この八次元如来界には、五百人弱の如来がいるわけですが、そのなかで、約四段階ぐらいにわかれています。一段階下が、梵天界といわれている境涯の上位部分で、ここには、約四十名ぐらいの如来がおります。その上が、亜神霊界といわれる部分で、約百二十名。さらにその上が、光神霊界と呼ばれる部分で、約二百八十名。八次元如来界の最上段階が、狭義の太陽界です。広義の太陽界というと、九次元の宇宙界までもふくみますが、狭義の太陽界には、九次元と八次元の中間の約二十名ぐらいの大如来がおります。

 この太陽界にいる大如来とは、どういう方がたでしょうか。日本神道系では、天之御中主之神、天之常立之神、神御産巣日神の三神がおります。キリスト教系では、大天使長ミカエルをはじめとする七大天使道教老子、墨教の墨子もこの太陽界の住人です。古代ギリシャ神話のアポロンギリシャ哲学のソクラテスプラトンもここの住人です。仏教系では、大日如来阿弥陀如来などがおります。回教のマホメットは、太陽界のひとつ下の光神霊界にいるようです。

 さて、太陽界にいるこうした方がたに共通する「太陽界の悟り」とは、どういうものでしょうか。

 それは、ひとことであらわすならば、もはや人間としての悟りではないということです。すなわち、個人が努力して悟れる境地ではなく、彼らには神格が与えられているということです。

 この太陽界あたりからは、人間的修行で悟る段階とはいえず、大神霊の仲間入りしてくるのです。ほとんどの宗教ならば、根本神になりうる方がたなのです。

 彼らの悟りが、すでに、人間的悟りでないといいうる根拠は、どこにあるのか。つまり、地球人類の進化計画に直接タッチしているのです。九次元宇宙界の人びとをたすけながら、具体的に、地球上の文明の開花だとか、宗教の革新だとか、新しい時代の波などを計画、立案、遂行しているのは、主として、この太陽界の方がたなのです。地上に降りて、直接、レオナルド・ダ・ヴィンチ(大天使ガブリエル)や、マルチン・ルター(大天使ミカエル)のように活躍することもありますが、通常は、天上界にいて、活動をつづけております。

 

 

 

シリウスから来た女」の続編part2

31.今だから説ける「真実を伝える言葉」に置換・変換させてみる。】のつづきから

第四回資料より引用( : 第二センテンス以降、一行毎にナンバリングあり)

*①智慧が身につくと、「」が分かる。=(イコール)「真理」

 ②智慧が身につくと、すべての事象(物事が起こる様)が「ありのまま」に見えてくる。

*③「」の境地とは。

 ④◦かたよらない「」⎫ 空……只有るがまま

 ⑤◦こだわらない「」⎬ これが「中道を歩く」生き方です。

 ⑥◦とらわれない「」⎭→「真心」……この3つのの事。

 

①の「智慧」と「知恵」の違いから。

スーパー大辞林辞書より知恵〘仏〙 空など仏教の真理に即して,正しく物事を認識し判断する能力。これによって執着や愛憎などの煩悩(ぼんのう)を消滅させることができる。六波羅蜜の一つ。般若(はんにや)智慧事の道理や筋道をわきまえ,正しく判断する心のはたらき。事に当たって適切に判断し,処置する能力。が付くよいが浮かばないをはたらかせるを貸してくれ〘哲〙 単なる学問的知識や頭の良さではなく,人生経験や人格の完成を俟(ま)って初めて得られる,人生の目的・物事の根本の相にかかわる深い知識。叡智(えいち)。ソフィア。

ちなみに前回記事の「六波羅蜜」の訳も引用しておく。

六波羅蜜〘仏〙ろっぱらみつとも〕菩薩が涅槃(ねはん)の世界に入るために修める六つの行。すなわち布施・持戒・忍辱(にんにく)・精進・禅定(ぜんじよう)智慧(般若(はんにや))の各波羅蜜六度波羅蜜

 これより解説。

 第四回資料の内容は、ほぼほぼ辞書から要約した節がある。が、実際私が修行をしていた過去世から考えると、「言葉で」という認識よりは、感覚的な“モノ”として空や六波羅蜜を捉えていた。

 なので「実践あるのみ」という心構えがなかなか参加者のご理解を得られなかった。多分いまだにそうなのだろうと感じる。

 「文字」や「言語」から(学びに)入っても、結局実践でしか「空」という感覚は得られないし、空を知らないと六波羅蜜や悟りの感覚も腑に落とすことは難しい。……未だなんとも言えないが、娘を通して実感している事として、「福祉」に於ける感覚的な居心地の良さや感慨深い他者との心の交流から学べる心境の方が、より「空」に通じることができる、一番手っ取り早い修行になると実感している。それくらい「言葉」から得られる「不自由さ」が、感覚を縛り=五感や互換等の理解を窮屈にしていると考えられる。……結局、今も「言葉にする」と余計に分かりづらい。申し訳ない。 R5/7/20㈭23:09