シリウスから来た女part 2&0次元からの真理の仕組み&ハピわくサークル

見得ない世界で横行する事実関係の説明がつかない「スピリチュアル詐欺ビジネス」。 見た目の華やかさから足を踏み入れてしまったばっかりに、各スピ教祖の利己満妄想スピの呪縛から、本物の霊的世界の様相を知り、みんなが真心から繋がって生きていくためのサークルです。

ハピわくサークルでは、「子どもと大人が安心して支え合える地域社会」を目指しています。 ひとりとひとり、みんながみんな、お互いがそれぞれで心豊かに生きられる、そんな色とりどりな工夫をご一緒にしていきませんか?

54.シリウスから来た女part.2「魂は両性具有」

以下引用文(四角枠)内が「太陽の法(大川隆法著)」からの原文、赤字が私の解説等です。(以下文中の太字は、原文での傍点箇所)

[(3-57)[太陽の法:4人生は日々の勝負なり]…

 この世の執着を去って、心をはだかにして、神の子として生きてゆくことを誓ったとき、私たちは、一体なにをなせばよいのでしょうか。

 私たちのなすべくことは、山にこもったり、滝にうたれたり、あるいは、断食をしたり、座禅ばかりして日々を過ごすことではないはずです。人間は、山にこもるために生まれて来たのではありません。人間は、断食をするために生まれてきたのでもありません。そんなことでは悟れないことを、二千五百年前に、インドの釈迦が、証明しているではないですか(←下線部全くの同意)。彼の人生をむだにしないためにも、そうした肉体行のなかに悟りの因はないということを、私たちは疵金は気づかなければならないのです。

 肉体を極端に快楽のなかにどっぷりとつける生活のなかにも、肉体を極端にいためつける肉体行のなかにも、ほんとうの悟りの因はありません。これら左右の両極端をすてた中道の生活こそ、神が期待している生活なのです。

 人間が心であり、魂であるからといって、肉体をそまつにせよといっているのでは、もちろんありません。肉体とは、人生修行のために、両親の縁でもって、神からいただいた大切なのりものなのです。

 お金を出しさえすれば、簡単に買える車でさえ、「愛車」だからといって、毎日毎日ピカピカに磨きあげている人がおります。しかし、車を大事にするぐらいなら、自分の体をもっと大切にし、健康のために、適度の運動と、調和のとれた栄養を考えて、維持しておくべきです。そして、睡眠をしっかりとり、 規則正しい生活をすることです。また、人間の理性と知性を狂わすアルコールなどというものに、魂までうばわれないことです。心身のリフレッシュのために、アルコールをときどきとることはけっこうです。しかし、アルコールがなければ生きてゆけないようになると、やがて人間は理性を失い、地獄の悪魔たちに肉体を支配され、肉体をあけわたしてしまうようになります。それが、必ず仕事の失敗、家庭の崩壊へとつながってゆくのです。

 左右の両極端を去って、中道の生活に入るべきだとことばでいうのは簡単ですが、それを実践するのは、たいへんむずかしいことです。中道の道とは、考えれば考えるほどに、奥の深い道なのです。では、どうしたら中道の生活に入ることができるのでしょうか。どうしたらそのモノサシを手に入れることができるのでしょうか。人びとのつぎなる疑問は、ここにあります。

 中道の道に入るためには、まず、二本のモノサシが必要です。一本は、いうまでもなく八正道を中心とした自己反省のモノサシです。もう一本は、愛の発展段階説を基軸とした自己観照のモノサシです。この二本をモノサシとして生きていただきたいのです。

 八正道とは、 正しく見、正しく語り、正しく仕事をし、正しく生活をし、正しく思い、正しく道に精進し、正しく念じ、正しく定に入るべしという教えです。これは、「正しさ」というものを基準として、自分の心と行ないの両極端な揺れを修正し、中道を見出すための方法だといえます。すなわち、中道のなかにあってこそ他人と仲良く生き、大調和の生活ができるからです。しかし、正しさを基準として、自己反省ばかりしていることが、消極的、厭世的なる人生に堕す危険は、いましめねばなりません。つまり反省ばかりをしていると、人生は前に進まないということにもなりかねないからです。……相変わらずだが、「正しく◯◯」の“正しく”とは、どういう状態を指しているのか?、できれば詳しく説明して欲しかった。場所や人によって「正しさ」は変わる。

 自分をしっかりと反省できたならば、つぎは、それをどのように心で、どのように行ないで、あらわしていくかです。すなわちそれは、感謝行ということになります。では、感謝行とはどういうものでしょうか。

 人びとに、「ありがとう」ということですか。確かに、それもひとつです。しかし、ほんとうの感謝行とは、もっと積極的なものです。つまり、「あなたは、他人に一体なにをしてあげたか」、そこに、ほんとうの感謝行があります。

 それは、やはり愛なのです。与える愛です。与えつづける愛です。無償の愛の実践なのです。これが、ほんとうの感謝行のあり方だといえます。そこで、ときおり、自分がいま、「愛する愛」の段階にいるのか、「許す愛」の段階にいるのか、それとも、「存在の愛」の段階に入ったのかを自問自答してみる。すなわち、自らの成長を自己観照してみることが必要です。なぜならば、愛の発展段階は、あなたの成長の確かなバロメーターであり、そこに、日々の進歩があるからです。

 「反省」と「進歩」。この二本のモノサシが、神の子としてのほんとうの人生の証なのです。ですから ら、日々反省し、自らの極端な思いと行動をいましめ、日々、自己観照して、自らの進歩をふりかえってみなくてはなりません。そうするときにはじめて、人間は、人生の日々の勝負に勝利しているといえるのです。……この人大川氏の「二本のモノサシ」という表現と、私の「中道=中庸で生きる」、←この主張は概ね同じことを違う視点で捉えているような?と思われる。私の場合のそれをさらに限定していくと、「二重螺旋構造」にぶち当たる。……こうした解釈の差でも「すれ違う」感じが否めない。あしからず★

 

 

 

シリウスから来た女」の続編part2

そのお陰様で、色んな経験値を積む事ができた。……今は、振り回すことも振り回されることもほとんどなくなった。実際それは「奈落の『底(=安寧化)』に着いた」からだと思う。】のつづきから

 ここで、「奈落の底に落ちた理由」というところで、

39.実際、これは「偏光」という波の状態の相反=地震ではP波やS波のような、互い違いに訪れる波の動きが反射的に現れて来る症状】の目で物事を捉えてしまっているという状態だ。……こうした症状が、精神を分裂させてしまう病い=統合失調症という病態に大きく影響を及ぼしている。

40.……当時の私には「うんこ=(「女(の中身)はうんこでできている!!」)」の意味が理解できていなかった。……が、2006年から始めた「二年間の勉強会」にて、この事実を思いっきり思い知っていくのだった。

↑ これらの話題に通じていくわけだが、どれほどの深さや広さが在るだろう女性“性”の、そこはかとない“闇”を、我が身で体験しなければ、到底辿り着けなかった「今の自分の幸」を、当ブログにてどこまで吐露&披露できるか?分からないが、とにかくやるだけやってみる。それをすることによって、これから一大事な“性”という向きが、どれだけ自分自身にとっての「大事な指針になっているか?」、その説明に繋げていきたいと願っている。

 さて「最初の難関」として。

 女性“性”や男性“性”と一口で言っても、その両方が「一人の人間に備わっている」という事実を、先に認識してもらわなければならない。それが現在進行形でありながら、なかなか語るに語り尽くせない「LGBTQ」への大問題に繋がっていく。それこそが「魂」という記憶媒体&装置のある種の資質だから。……文字面で説明するには、ほとほと難しい。 つづく R5/8/7㈪23:11