シリウスから来た女part 2&0次元からの真理の仕組み&ハピわくサークル

見得ない世界で横行する事実関係の説明がつかない「スピリチュアル詐欺ビジネス」。 見た目の華やかさから足を踏み入れてしまったばっかりに、各スピ教祖の利己満妄想スピの呪縛から、本物の霊的世界の様相を知り、みんなが真心から繋がって生きていくためのサークルです。

ハピわくサークルでは、「子どもと大人が安心して支え合える地域社会」を目指しています。 ひとりとひとり、みんながみんな、お互いがそれぞれで心豊かに生きられる、そんな色とりどりな工夫をご一緒にしていきませんか?

55.シリウスから来た女part.2「男女の方向“性”を平面座標から考察する 」

以下引用文(四角枠)内が「太陽の法(大川隆法著)」からの原文、赤字が私の解説等です。(以下文中の太字は、原文での傍点箇所)

[(3-58)[太陽の法:5煌めく人生]…以下は独自の見解と考えられるので、私からは差し控えることとする。

 人生には、「反省」と「進歩」が必要です。しかし、ただそれだけでは彩りがなさすぎると、私は思います。人生には、やはり「煌めき」が大切だからです。では、その煌めきとはどういうものなのでしょうか。一体何でしょうか。それについて、考えてゆきたいと思います。

 煌めきとは、光がその光彩をはなつ瞬間です。そして、その煌めきの瞬間にも、私は三つの瞬間があると思うのです。ここで、この三つの瞬間について、お話しましょう。

 第一の瞬間とは、病からたちなおったときです。病は、人生における試練のときだといえます。この試練といかに闘うかによって、その人の人間性が試されるのです。病は、二つの意味から、試練だといえます。そのひとつは、肉体的な苦しみをともなうということです。そして、いまひとつに、精神的な苦しみがあります。

 まず、肉体的な苦しみについてですが、それが生じるのは、たいていの場合、規則正しい生活をしていないか、過労か、それとも、本人の念いになにか問題があるかです。 ですから、病に苦しんでいる人は、その肉体と同様、その心も病んでいるということに気がつかなくてはなりません。そして、肉体が苦しんでいる理由をよく反省することです。

 病気の八割までは、なんらかの憑依霊状態を起こしており、死者の霊が、他人の肉体を使って、本人と同じように、脂汗を流して苦しんでいることが多いといえます。その証拠に、憑依霊を取りのぞいた瞬間、あっというまに熱がさがり、病人が心身ともにさわやかになって、立ちあがるということがあります。これは、まさに、肉体がいかに霊的な影響を受けているかということの証左です。

 憑依霊がいちばんいやがるのは、反省と感謝です。なぜならば、病気になった本人が、反省と感謝をしはじめると、その後頭部から後光がさしはじめるため、しだいに、憑依霊と波長があわなくなり、憑いていられなくなるからです。この後光を、さらに強く出すためには、本人の精神的な苦しみを解決してゆかなくてはなりません。

 精神的な苦しみを解決するためには、まず自分がもっている執着を、ひとつひとつ点検し、これを取りのぞいてゆくことです。病人に対してはこういういい方は皮肉ですが、執着を断って、いつ死んでもいいような心境になったときはじめて、あの世の守護・指導霊の力で、神理の光が入りはじめ、病は、急速に回復していきます。これが、まさしく奇跡の瞬間です。このように、病からたちなおるという奇跡の瞬間を体験した人は、一大廻心をし、一大新生をなしとげたのだといえます。そして、この煌めきは、本人だけのものではなく、ほかの人びとをも照らす心の光となるはずです。

 煌めきの第二の瞬間は、信仰に目覚めたときです。信仰なき人生と、信仰ある人生とでは、たとえば、闇夜に手さぐりで生きている人と、カンテラを照らして生きている人ほどのちがいがあります。

 この三次元は物質中心の世界ですが、物質ばかりに心がとらわれて、唯物主義を真理だと考えるようになってくると、だんだんに、快楽のみを追い求めるか、闘争だけに熱中するようになってきます。すなわち、神の目を忘れた人間、もっともあわれむべき人間となってくるのです。信仰は、夜道を照らす一条の光です。この光によってのみ、実在界の存在を忘れ去っていた人間がはじめて、それを認識できることとなるのです。

 煌めきの第三の瞬間は、霊道をひらいたときです。霊道をひらくとは、自らの心の扉がひらいて、潜在意識層の守護・指導霊と対話ができるようになることです。霊道とは、いわゆる超能力とか、霊媒体質とはちがいます。それらは、特殊な訓練をしたり、生まれつきそなわっていたりしますが、霊道の能力は、後天的なものです。しかも、霊道とは、真理を実践している者ならばだれもがもちうる能力である点が、すばらしいのです。地獄界ができる以前の、太古の人間には、すべてそのような力がありました。そのことを、いまの人たちは、忘れているだけなのです。

 霊道をひらくことは、さほどむずかしいことではありません。太古の人間のように、心を澄ますことができたらば、だれもが多次元の霊たちと話をすることが可能になるはずです。心を澄ますためのいちばんの方法は、やはり反省ということになります。人間は、自分が生まれてからこのかたの環境、教育、思想、習慣、そして、眼・耳・鼻・舌・身・意の六根煩悩に支配されて、天性の魂の輝きを失ってしまいました。ですから、これを取り戻すには、自分がつくった、あやまちという名の「心のくもり」を晴らす以外にはないのです。そのためには、 正定です。すなわち、精神統一をして、自らの生まれてからこのかたの、思ったこと、行為したことを、ひとつひとつ反省する。霊道による神の光の体験。これが、すなわち、人生が煌めく第三の瞬間なのです。

 

 

シリウスから来た女」の続編part2

女性“性”や男性“性”と一口で言っても、その両方が「一人の人間に備わっている」という事実を、(中略)……「魂」という記憶媒体&装置のある種の資質だから。……文字面で説明するには、ほとほと難しい。】のつづきから

 男性“性”及び女性“性”という人間の質的方向性については、拙書をお読みいただいた方々には既にご承知おきいただいているような……と思われるが、再度こちらへ。

 縦方向に走る傾向が男性的“性”向(エネルギー的には㊋)であり、横方向に広がる傾向が女性的“性”向(エネルギー的には㊌)と述べていた。これは「平面座標」で表示できる“モノ”として、Y軸が男性的“性”向であり、X軸が女性的“性”向である。

 さて。上記の平面座標で見えてくる傾向には、男性“性”向、または女性“性”向、この両者2点は「マイナス」と「プラス」の部分、つまり「正・負」をどちらも合わせ持っている。それら正・負を分けているのが、最近流行りの?「ゼロ点」=「原点」だ。

 この原点「0」に対して、四次元に鎮座する魂の土俵を合致させてみると、あら不思議。白と黒の……まるで囲碁かオセロのような世界観が見えて来る。これら「陣地取り合戦の勝敗」が、実際問題の「LGBTQ」に派生して来る。 つづく R5/8/8㈫22:47