シリウスから来た女part 2&0次元からの真理の仕組み&ハピわくサークル

見得ない世界で横行する事実関係の説明がつかない「スピリチュアル詐欺ビジネス」。 見た目の華やかさから足を踏み入れてしまったばっかりに、各スピ教祖の利己満妄想スピの呪縛から、本物の霊的世界の様相を知り、みんなが真心から繋がって生きていくためのサークルです。

ハピわくサークルでは、「子どもと大人が安心して支え合える地域社会」を目指しています。 ひとりとひとり、みんながみんな、お互いがそれぞれで心豊かに生きられる、そんな色とりどりな工夫をご一緒にしていきませんか?

17.シリウスから来た女part.2「水分+油分=性質(成分)」

以下引用文(四角枠)内が「太陽の法」からの原文、赤字が私の解説等です。(以下文中の太字は、原文での傍点箇所)

[(3-24)[太陽の法:第3章愛の大河 1愛とは何か]…

 本書では、「愛」ということについて、みなさんと一緒に、考えてゆきたいと思います。愛は、私にとっても、もっとも関心のあることです。みなさんにとっても、おそらくはいちばん大切なものであるはずです。

 人間として生きてゆく人生の過程において、もっとも大切なもの、いちばん輝かしいもの、それは、やはり愛なのではないでしょうか。私たちは、愛ということばに、その響きに、魅せられてしまいます。愛ということばには夢があります。愛ということばには情熱があります。愛ということばにはロマンがあります。

 たとえば、今日一日という日が、あなたに残されたすべての時間だとしましょう。そして、夕べには死すべき運命であったとしても、だれかに愛をささやかれたら、すべての人間は、幸福な笑みを浮かべて、死へと旅立ってゆくことができるでしょう。

 愛なき人生とは、疲れはてながらも、砂漠を歩む旅人の人生だといえます。一方、愛ある人生とは、道ゆく砂漠のなかに、そのところどころに、オアシスがあり、花が咲いている人生です。

 ところで、愛とは、なんなのでしょうか。一体なにびとが、正確に愛を定義しえたでしょうか。文学者ですか。それとも、詩人ですか。あるいは、哲学者でしょうか。結局のところ、やはり宗教家でしょうか。

 愛をどこまでつかめるか。愛の本質はどこまで洞察しえるか。これは、神が私たちに課したひとつのテーマです。ひとつの問題です。そして、それは、ひとつのよろこびであり、ひとつの幸福であり、ひとつの悩みであり、ひとつの苦しみでもあります。

 愛は両極端です。すなわち、最高の幸せと、最大の不幸とをあわせもっています。愛は、人生のよろこびの大半であり、また、人生の苦しみの大半でもあります。

 愛の本質をつかみ、愛を自分の思うがままにあやつりながら、最大の幸福をめざしてゆく。その方向には、ひと筋の光明がさし来たっているかに見えます。その行く手には、神が、笑顔で、大きく手をひろげて待っておられるようにも思えます。

 ともあれ、私は、本書において、愛の本質、愛の段階、愛と悟り、そして、神と愛について考えてゆくつもりです。

 私は、私の指導霊であるイエス・キリストと、愛について、よく話をすることがあります。 ←とんでもねえ大嘘つきだわ★こいつ。イエスはお前と同じ世代で実質人間として生きている。なのにどうやって?お前の指導霊になれるんだ??! ……私はここを読んだ瞬間、初めての激昂を体験してしまい、この単行本を思いっきりカーペット(=床)に叩き付けてしまった。それも20回くらい。それほどに腑が煮え繰り返った。これほどまでに頭に血が上った事は他に無い。冷静さをカクにも大概にしたかったので、しばらくの間自分を様子見した。)

 キリストは、もちろん、愛の大家であり、愛の専門家であり、また、神の愛の体現者でもあります。そのキリストが、「現代人にこそ、まさしくほんとうの愛とはなんなのかを告げ知らせる必要がある」というのです。というのは、愛が、現代ほど誤解されている時代は、有史以来めずらしく、愛が誤解されていたエポックというと、わずかにアトランティスの末期や、旧約聖書にあるソドムとゴモラの時代ぐらいしか見当たらないからだそうです。

 いずれにせよ、私は、この「愛」というものを真正面からとらえ、現代人の疑問に答えてゆきたいと思います。

 八正道プラス愛の探求。それは、おそらく現代人にとって望まれる修行の姿であり、現在人に対する福音ともなるはずです。ですから、私は、これから愛について多くを語ってみようと思います。 話は「愛」という定点からとらえた人生観、世界観、神理観となっていくはずです。

 

 

シリウスから来た女」の続編part2

(「個人セッションが必要」と、私が判断した理由から)

水と油がひっきりなしにせめぎ合いをしているように感じる。】のつづきから

 前回記事では、世界中で【水と油がひっきりなしにせめぎ合いをしている】について言及した。

 次に私たち個々人の、肉体内での【水と油のせめぎ合い】を考察してみる。

 水分は「溶媒」の機能を発揮し、必要且つ時に余分?な脂肪等も含めた主成分を体内に溶かして、一個人を「肉体」として成立させてくれている。

 一方の油分はというと、肉体を形成するための「外郭(=外枠)」を形成してくれている。それは細胞一つ一つと同じ働き「リン脂質」=細胞膜に匹敵する、いわば「体外的な効果」と言える。それに対する水分は、「体内的効果」と言えるだろう。(注: 一部油分も「体内」で流動的に活躍をしている。)

 この水分と油分とは、浸透圧にみる「圧力」によって平衡状態を保っている。そのどちらかの比率が過剰に有るか無いか?は個々人の状態に由来する。……これらは、肉体にとっての物質的な「水分と油分」についてのお話だ。

 こうした我々人間にとって必要不可欠な両者=「水分と油分」という成分は、実は感情的な“モノ”として、体内で流動的な平衡作用やその時々に変幻自在する“モノ”=「性質」としても扱っており、その状態で「慣らされている」のだった。 R5/7/1㈯23:47