シリウスから来た女part 2&0次元からの真理の仕組み&ハピわくサークル

見得ない世界で横行する事実関係の説明がつかない「スピリチュアル詐欺ビジネス」。 見た目の華やかさから足を踏み入れてしまったばっかりに、各スピ教祖の利己満妄想スピの呪縛から、本物の霊的世界の様相を知り、みんなが真心から繋がって生きていくためのサークルです。

ハピわくサークルでは、「子どもと大人が安心して支え合える地域社会」を目指しています。 ひとりとひとり、みんながみんな、お互いがそれぞれで心豊かに生きられる、そんな色とりどりな工夫をご一緒にしていきませんか?

19.シリウスから来た女part.2「第1回個人セッションのテーマ:『良い人』の定義」

先日の腑が煮えくり返り爆発してしまった件から早数日。……セルフ様子見のお陰からか、ようやくそんなに抵抗なく読めるようになって来た次第です。が、それもこれも誰に頼まれた訳でもなく、あくまでも当初よりミスミス見過ごして来てしまった私自身の過ちを正す(糺す=糾す)つもりで、最後までやり抜こうと、今のところは思っています。

ということで、以下引用文(四角枠)内が「太陽の法」からの原文、赤字が私の解説等です。(以下文中の太字は、原文での傍点箇所)

[(3-26)[太陽の法:3愛の力]…

今回の内容はほぼほぼシルバーバーチのパクリ★
全く自慰的泥酔野郎の文章に触るのもおこがましい【←辞書より:分不相応である。さしでがましい。出過ぎたことだ。いかにもばかげている。全くばかばかしい。】ので諦める。

 愛とは、私が知るかぎり、この地上では、最大の力をもっております。この世を去った実在界、四次元以降の多次元世界においても、愛は、最大の力です。しかも、次元のはしごを登るほどに、愛の力は、強くなっていきます。なぜならば、愛の力とは、結びつける力だからです。排斥しあう力は、お互いに弱めあいます。しかし、結びつける力とは、ひとりの力を二倍にも三倍にも強めてゆくものです。ですから、愛に敵なく、愛の向かうところに、立ちはだかる敵はいないのです。←この場合の「愛」とは抽象的な雰囲気で使っているだけだろう。大川の場合、愛は憎しみだとか、喜びだとか、主観的な意味合いでしか語っていない。そんなことを言い出したら、「愛は全てだ」で終わってしまう。以下同様。

 愛は戦車です。愛は丘を登り、谷をくだり、川をわたり、沼をつきぬけ、悪の要塞をものともせず、つき進んでゆく戦車です。

 愛は光です。愛は闇夜を照らし、過去を照らし、現在を照らし、未来を照らす光です。天上を照らし、地上を照らし、人の心を照らす光です。この世のいかなる悪をもかぎりなくやさしくつつみ、この世のいかなる悲しみをも、かぎりなくあたたかくつつみ込む光です。

 愛は生命です。すべての人は、愛を糧として生き、愛を力として生き、愛を生命の炎として生きているのです。すなわち、愛はすべてだからです。愛なくして生なく、愛なくして死なく、愛なくして道なく、愛なくして希望なし。愛はすべてのすべてにして、糧にして命です。

 愛は病です。この病におかされると、すべての人は、熱に浮かされ、熱に苦しみ、夜も眠れなくなってゆきます。しかし、その熱中にこそ、真なるものがあり、つきはてぬ生命の躍動があるのです。

 愛は勇気です。愛なくして、人はふるいたつことあたわず、愛なくしては、人は死と立ち向かうことができないのです。愛は神理の導火線に火をつけるたいまつであり、迷妄に対して解き放たれた一本の矢なのです。

 愛は誓いです。人びとは愛の名のもとに、ともに暮らし、ともに語らい、ともに歩んでゆきます。もし愛という名の絆がなければ、人びとは途方にくれ、夕暮れを待つばかりです。

 愛はことばです。ことばなくして愛なく、愛なくしてことばはありません。愛はよきことばであり、よき想いであり、よき波動であり、よき調べです。 神はことばにて世界をつくります。そして、愛はことばにて人をつくるのです。

 愛は調和です。愛ありてこそ、人はむつみあい、許しあい、生かしあい、すばらしい世界をつくるのです。愛の輪のなかには、怒りもなければ、ねたみも、そねみもありません。愛の輪のなかには、ただこれ、大調和があって、すべての人が、生かしあっているのです。

 愛はよろこびです。愛なくして真のよろこびはなく、愛なくして真のしあわせはありません。愛は神のよろこびの表現であり、地上の悲しみを一掃する魔法です。愛はよろこびであり、そのよろこびがまた愛を生み、その愛がまた、よろこびを生むのです。かくして、愛は円環であり、かくして、愛は循環なのです。

 愛は進歩です。ひとつの愛は、ひとつの進歩を生み、ひとつの愛は、ひとつの光を生む。愛ある日々は、進歩ある日々です。なぜならば、愛の行く手には、神がいるからです。愛の行く手には、数かぎりない聖霊たちがいるからです。愛のあるところに、退歩はありません。愛のあるところに、おそれはありません。愛には、ただ進歩あるのみです。愛には、ただ向上あるのみです。愛とは、ただ、神のもとへ飛んでゆくということなのです。

 愛は永遠です。愛は過去にあり、現在にあり、未来にあります。 ときのなかに愛なきときはなく、時代のなかに愛なき人はいないのです。愛はすべてのときをつらぬく、輝ける黄金の翼です。はるかなる天空をかけてゆくペガサスです。愛は永遠のときを生きる証であり、愛は永遠のいまをつかまえる狩人です。

 そして最後に、愛は祈りです。愛なくして祈りなく、祈りなくして愛はありません。愛は祈りによりて、より積極的な力となります。愛は祈りによりて、すべてのものごとを成就するのです。祈りは、愛を高める力であり、祈りは愛を深める秘法です。すなわち、神への祈りによりて、愛は成就し、神への祈りによりて、愛は実現するのです。

 神は愛なり、愛は神なり。愛をして神ならしむ力は、祈りなり。祈りによりて、人びとは生き、祈りによりて神を知る。かくして、祈りによりて、人は愛の力を最大に発揮することができるのです。

 

 

 

シリウスから来た女」の続編part2

【こうして先ず、各々の「個人的傾向を知る」ことが、結果「大きな集団になる要素」を知り得る=分かる秘訣のような、そのような心理的作用の傾向を知ることに繋がっていくと考えていた。……その結果は……これから徐々に吐露していく。】のつづきから

 最初に企画した「個人セッション」の内容を紹介する。

第1回個人セッション資料2005(H17)12月

 上記資料のタイトルは【「良い人」の定義】としてある。

 この「いい人」という言葉は、今ではごく当たり前に通用するようになったが、当時は私の心の中だけで使っていた言い回しで、講話会の最中もご来場者に向けて話していた。にも関わらず、ほとんどの人にその意味が全く通じていなかった。

 真理の話は、個人個人の中道という回路に「降る光」として見える。が、ほとんどのご来場者の頭部に白光として降り注がれてはいたものの、中道にはほとんど入っていかず、全身を舐め回す程度で流れてしまっている様子だけが見えていた。……どういう訳か?皆が皆、私の声が体内には入らず、各人の耳の横を素早く流れるだけだった。……なのに、聞き惚れているように感じられる人が何人もいらした。それはそれで「そのうち慣れて、皆の中身に(私の言葉が)入るようになるのかな?」と考えていたが、一向に無駄に終わっていた。(←これ等もあって、「個人セッション」実施へ繋がっていった。)

 また、このテーマを最初に選んだ理由としては、私の言葉が世の中にどれだけ通じないか?、否どれほどが通じるのか?を試す機会として、先ずは通じない「『いい人してる』とはどういう状態を指し示しているか?」、これに絞って説明したいと考えたのだった。……当初から私にとって、「日本人の行動規範を有り体で具体的に説明している表現」だったからでもある。しかし……「本当の“事”」って、本人たちにはなかなか通じない“モノ”だった。 R5/7/3㈪23:31