シリウスから来た女part 2&0次元からの真理の仕組み&ハピわくサークル

見得ない世界で横行する事実関係の説明がつかない「スピリチュアル詐欺ビジネス」。 見た目の華やかさから足を踏み入れてしまったばっかりに、各スピ教祖の利己満妄想スピの呪縛から、本物の霊的世界の様相を知り、みんなが真心から繋がって生きていくためのサークルです。

ハピわくサークルでは、「子どもと大人が安心して支え合える地域社会」を目指しています。 ひとりとひとり、みんながみんな、お互いがそれぞれで心豊かに生きられる、そんな色とりどりな工夫をご一緒にしていきませんか?

52.シリウスから来た女part.2「信用できるか、できないか」

以下引用文(四角枠)内が「太陽の法(大川隆法著)」からの原文、赤字が私の解説等です。(以下文中の太字は、原文での傍点箇所)

[(3-55)[太陽の法:2執着を断て]…

 自らを知るためには、自らすてるということです。ほんものの自分を知るためには、にせものの自分をすてなくてはなりません。つまり、にせものの自分に気づくことが、にせものの自分をすてる第一歩となります。そこで、まず、にせものの自分というものを列挙してみようと思います。……これまでもずーっと思って来たが、「すてる」「ほんもの」「にせもの」等々、普通に読めるであろう単語なのに、何故に漢字表記にしないのだろうか?←この“事”に私は、不信感というか、大川自身が「本物」と名乗れない理由が有る気がしてならない。←あくまでも「私の個人的見解」★

 一、他人から愛をうばい取る

 まず、にせものの自分の筆頭とは、他人から愛をもぎ取ることばかりを考えている自分です(←奇しくも先日ご紹介した解離性同一性障害を発症した娘さんの状態)。神さまは、宇宙を与えられたのです。人間の魂も、人間の肉体も、神さまから、与えられたのです。神さまは、太陽も、空気も、水も、そして、大地も、海も、動物も、 植物も、鉱物も、いっさいがっさいを与えきりました。しかし、神さまは、なんの報酬も求めてはいらっしゃらないのです。

 このように、「与えきり」の世界のなかに生きておりながら、人間は、なにゆえにうばうことばかりを考えるのでしょうか。神に、これだけの愛を与えられておりながら、一体これ以上、どれほどの愛を与えられたら満足するというのでしょうか。

 神の愛を知らない人だけが、他人の愛をうばい取るのです。しかし、うばい取りたい他人の愛とは、一体なんなのでしょうか。

 お金に換算された報酬ですか。あるいは、地位ですか。名誉ですか。名声ですか。イスですか。それとも、「あなたを心から愛している」というひとことですか。「なにもかも、あなたのおかげです」ということばですか。あなたに失礼を働いた人の深謝のことばですか。あるいは、性的なサービスですか。それとも、親からもらったもの以上に立派な肉体ですか。自分の子供をほめられてもらうことですか。あるいは、自分の夫の学歴をほめてもらうことですか。それとも、他人から、「美しい」とか、「二枚目」だといってもらうことですか。お化粧のでき具合をほめてもらうことですか。←私の勉強会及び実験に参加された方々も、ほとんどはこの中に含まれるように感じる。……私から本当の“事”=「真理」を勉強する事なんか、本当はどうでも良かったのではないか?と、今更だが回想すると、そう思える節が多々出て来る。それだけ「俗世にまみれてしまう」この世体験の修行に於いては、自身で自覚しない限り、元の場所「天」には還れないのも運命=必然なのかもしれない。

 しかし、そんなことをしてもらったところで、一体それが、なんの役に立つというのでしょうか。一体どれだけ、自分の向上に役立つというのですか。そのような自己愛の心は、他人と自分をへだてる壁となり、やがては、地球全体に、動物園のような金網の柵をはりめぐらすことになるのです。そういうことが、なぜわからないのでしょうか。すなわち、まちがった執着をもっているからです。だから、わからない。執着の心をもっていたのでは、ほんとうのしあわせというものを得ることはできないのです。

 二、神を信じない自分

 もっともあわれむべきなのは、神を信じていない人たちです。神がつくられた世界を信じていない人たちです。人間とは、偶然に男女の性的結合の結果生まれて、バラバラの個人として生きているのだと思っている人たちです。ここに、もっともあわれむべきにせものの自分があるのです。

 「証明のできない神などは信じられない、信じろというのならば、きちんと証拠を出してみろ」というような方は、すでに神というものをさばいているのです。神をさばけるほど、自分がえらいと思いあがっているのです。しかし、人間では、地球の誕生以前からいらっしゃる神の存在を証明することなどできません。その証拠がほしければ、死んであの世に還ったあと、証拠を見せられるでしょう。ただし、 そのときには、すでにほとんどが手おくれなのです。そして、真っ暗な世界で、自分の存在すら証明できなくなるほどの困惑に陥ってしまうでしょう。←これ、大川氏が「自分の“事”は棚上げしていた」という典型じゃない?……激流地獄の中、その通りの困惑顔して、ひたすら「どうして(自分が)こんな目に??!!!」と必死な形相で考え込んで居たし★

 三、精進をしない自分

 にせものの自分の三番目とは、精進をしない自分です。精進をしない自分とは、第一に、怠け心ある自分であり、第二に、神理を学ぼうとしない自分であり、第三に、他人を公平に見ない自分であり、第四に、すなおでない自分です。

 神は、私たち人間に、永遠の努力を期待していらっしゃいます。ですから、努力をしない人間は、神の子とはいえません。

 あなたは、日々、努力していますか。日々、神理の勉強を深めていますか。他人の実力、他人の真価を、しっかりと評価してあげていますか。そしてまた、すなおに生きていますか。すなおでない人間には、向上などありません。すなおでない人間は、真の魂の学習などできません。すなおであるということは、それ自体が美徳であり、それ自体が神の御心にかなっているのです。ですから、理屈ばかりをいって、他人のいうことばに耳を傾けないのは、すなおでない証拠です。

 四、執着だらけの自分 

 いつわりの自分とは、すなわち、執着だらけの自分ということです。真実の自分を知るとは、日々、神の心を心として生きるということです。そして、神の心を心として生きるとは、この世が修行のための仮の世であり、すべてをすてて、やがてあの世へ還らなければならないことを知って、日々、生きるということです。たとえこの世にいくらしがらみついていたところで、やがては、必ずあの世へと旅立ってゆかねばならないということなのです。

 人生は、無常なものであり、一日一生の思いで生きなければ、いつなんどき、死に見舞われるかもしれないのです。天国にいる人で、地上に執着をもっている人などひとりもおりません。しかし、地獄にいる人はすべて、地上に執着をもっている。その事実をいっときも忘れないことです。

 

 

 

シリウスから来た女」の続編part2

天使との交流や天使の羽を生やすエネルギーを注入する能力、また「守護天使と会話し、天使のエネルギーを『絵』にお入れし(て売り)ます」だった。そしてそれを餌にして「同志」を見つけ出そうと、「真理の話」に興味がある人だけを対象とした「勉強会を私としませんか?」←お誘いすることにした。】のつづきから

 しかし、ただ「誰でもいいからお誘いしていた」訳ではなかった。あくまでも私がその人を信用でき、且つその人から私自身も信用されている事が最低条件だった。

 当初「名刺屋」と陰で囁かれていた頃、東京での講話会に初めて参加された若い女性から、「りつこさんのお力になりたいです!!、なんでもお手伝いさせてください!!!」と、力強い口調で言われ、私の「六次元の名刺」をなんと!!「300枚」も?、なぜか一気に購入希望され、不思議な気持ちで「まあ、そんな事を言ってくれる殊勝な人だから」と、もしかしてスタッフになってくれるのかな?なんて、手前勝手に呑気に構え、注文通り発送した。……その後、彼女とはそれっきりで、なんの連絡もなかった。

 それでも当時の私は、「しばらくしたら、連絡くらいはしてくれるだろう」と考え、また彼女自身のやる気を優先し、私からの連絡は控えた。だが多分私は、その場しのぎの彼女の嘘に騙され、利用されただけだった。その頃は、まだまだ他人を「疑う事」ができずに、騙される事も良しとして受け止め、「それも修行の一環だ」とやり過ごす事で、自分をも騙していたんだと、今の私にもそう考えられるようになった。……しかし、この一件は、私の参加者への見方を大きく変えた。

 なので、騙される事も厭わない自分がいた。実際「中に居た私」の感想としては、「それはそれで『本人自身に返(帰還)って行く事(=嘘や裏切り行為)だ』」と考えていた。理由として、それまでの私の経験値では、目の前の他人の言動・行動には、そうした「見(=その身)返りする結果しか“見た事”がなかった」からだ。何故なら……それが「円(=互縁)の法則」だから。 つづく R5/8/5㈯23:28