シリウスから来た女part 2&0次元からの真理の仕組み&ハピわくサークル

見得ない世界で横行する事実関係の説明がつかない「スピリチュアル詐欺ビジネス」。 見た目の華やかさから足を踏み入れてしまったばっかりに、各スピ教祖の利己満妄想スピの呪縛から、本物の霊的世界の様相を知り、みんなが真心から繋がって生きていくためのサークルです。

ハピわくサークルでは、「子どもと大人が安心して支え合える地域社会」を目指しています。 ひとりとひとり、みんながみんな、お互いがそれぞれで心豊かに生きられる、そんな色とりどりな工夫をご一緒にしていきませんか?

20.シリウスから来た女part.2「『良い人』の定義←現在の反省」

以下引用文(四角枠)内が「太陽の法」からの原文、赤字が私の解説等です。(以下文中の太字は、原文での傍点箇所)

[(3-27)[太陽の法:4愛の神秘]…

 愛とは、真に神秘的なものです。その奥の深さ、その無限の高さははかりしれません。愛とは、考えれば考えるほどに味があり、コクが出てくるもの(←?)です。

 神は、自分を人間の前に立ちあらわすことをはばかって、自分のかわりに、おそらく「愛」というものを地上に送り込んだのでしょう。そして、それを学ばせることによって、人間たちに自分の真の姿を理解させるとともに、人間たちに学習の材料を与えたのだと思います。

 愛の神秘⎯⎯すなわち、愛とは、目に見えぬ力の存在を感じさせます。だから、神秘なのです。

 ここで、愛の神秘についてのたとえ話をひとつしましょう。

 むかし、あるところに、ひとりの老人がおりました。老人は、年老いて子もなく、孫もなく、淋しく暮らしておりました。その老人が住んでいた村はずれのお堂には、ときおり、村の子供たちが遊びに来ておりました。子供たちのなかでも、いちばんのわんぱく少年は、太郎です。太郎は、幼いときに両親を失って、いまは、姉夫婦のもとで育てられている十三歳の少年でした。

 ある日、太郎がお堂に通じている石段のところで遊んでいると、スズメが三羽飛んできました。そして、太郎が腰かけているすぐ横に舞いおりてきて、話をはじめました。

 一羽目のスズメがこういいました。

「この世でいちばんすばらしいものは、お天道さまだ。←こういう発想(=本に載せるくらいだから、本人は相当自信があったと思われる★)がそもそも人間=人と動物の“間”=三次元的成長段階(←昨日の記事の左端「中道の絵」のところにその説明が書いてある)この「自分が一番」病(=心理学では「確証バイアス」)で、よく恥ずかしげもなく「教祖」を名乗れてたよね。……それを「祭り上げた人たち」も有罪だわな。

こういう俗な説教は聞いていられない。大ヒット曲「世界で一つだけの花」で、「誰が一番じゃなくって」と教えてくれたじゃないの。あれはこれを著した後のヒット曲か?★ お天道さまがいつも大空に輝いているからこそ、私たちは世界が色とりどりに見えるし、樹々や草花はおおよろこびしている。穀物のたわわに実って、私たちスズメも、そのおしょうばんにあずかれるんだ。

 お天道さまがかくれてしまったら、この世が闇だし、どんな生きものだって、生きていけないだろう。私たちスズメは、いつもお天道さまに感謝しているから、ほかのスズメの命をうばったりすることはない。ところが、お天道さまがいつもニコニコ照らしているものだから、人間たちはいい気になって、したい放題だ。けんかはするし、悪口はいいあう。戦争などやっているバカもいる。だから、そのうち、お天道さまもいや気がさして、姿をかくしてしまうかもしれないね」

 それを聞いていた二羽目のスズメが、口を開きました。

「いや、この世でいちばんすばらしいものは、やはり水だよ。水がなかったら、どんな生きものだって生きていけないじゃないか。草木だって、水がなければ、一週間もすれば枯れてしまう。水がなければ、麦や稲穂も実らず、ぼくたちは、死んでしまうよ。動物だって、水がなければ、一週間と生きてゆけないはずさ。だから、やっぱり水あってこその命種で、この世でもっともすばらしいものは水だと思う。

 ぼくたちスズメは、水に感謝しているから仲むつまじく生きているけれども、おろかな人間は、水などタダだと思って軽んじていて、役にも立たない宝石とか、ネックレスとかいうものを手に入れるために、汗水たらして働いている(この「下線部」内は珍しく同感★)」。ぼくたちスズメは、生まれたまま、神さまからいただいたままの姿で足ることを知って満足しているが、人間たちは、自分たちをどうやってよく見せるかで、頭を痛めている(」←この「下線部」内は、私が以下シリウスからpart.2で主張していた「油分の要素=外見・外見・体裁等」のことだ)」。人よりえらくなりたいとか、人よりお金儲けをしたいだとか、人より美人になりたいだとか、まったくもって、こっけい千万だ」

 つぎに、三羽目のスズメが、重い口をひらいて、語りはじめました。

「確かにきみたちのいうように、お天道さまも、水も、すばらしい。この世でいちばん価値あるものは、だれもがその存在をあたりまえだと考えていて、それがあることのありがたさにさえ気づかないところにあるようだ。みんなはその存在に気がつかないけれども、いちばんすばらしいものは、おれが思うには、やはり空気だ。お天道さまがかくれても、水がなくなっても、おれたちは、何日かは生きてゆける。しかし、空気がなくなったら、ものの一分もたたないうちに死んでしまう。そういわれてみれば気がつくかもしれないけれども、空気のありがたさは、なかなかわかるものではないね。

 でも、おれたちスズメは、大空を飛びまわるとき、おもいっきり胸いっぱい空気を吸い込んで、そのありがたさに感謝している。水中の魚だって、苦しくなってくると、水面に顔を出し、パクパク空気を吸い込んでは感謝をしているではないか。それにひきかえ、人間とは、なんと傲慢なんだろう。飛行機で空を飛べるのは、自分たちの知恵のおかげだと思っている。そうじゃない。ちゃんと空気があるからこそ、飛行機も空を飛べるんだ。空気は、おれたちが空を飛ぼうと、人間たちの飛行機が空を飛ぼうと、一文だって要求しない。おれたちは、空気に感謝しているが、人間たちが空気に感謝しているのは見たことがない」

 太郎は、三羽目のスズメたちの話を聞いて、たいそう悲しくなり、考え込んでしまいました。自分は、人間こそが、万物の霊長でいちばんえらいんだと教えられていたのに、三羽目のスズメがいうような話は聞いたことがない。自分は、太陽のありがたさも、水のありがたさも、空気のありがたさも感じたことはなかった。人間とは、なんとおろかで、バカな生きものなんだろう。スズメ以下ではないか。

 そう思うと、太郎は、一気に石段をかけ登りました。その気配に、三羽のスズメはおどろいて、飛び立ち、どこかに見えなくなってしまいました。太郎は、お堂に住んでいる老人を訪ねると、いま聞いたばかりのスズメの話をして、人間がこんなにもおろかならば、人間に生まれず、スズメに生まれたらよかった、と泣きながら、老人に訴えました。すると、老人はこう答えました。

「太郎よ、よく悟ったね。人間とは、いちばんすばらしいものさえ見失っているおろかな生きものなんだよ。そのおろかな生きものであっても、お互いに愛しあうということによって、その罪を許されている。人間は醜い。しかし、その醜さばかりをいくら見つめていても、醜さが消えない。

 神さまは、人間の罪を許し、醜さを消すために、愛という魔法の力をお与えになった。そして、愛があるから⎯⎯その神秘の力で、人間は、万物の霊長であることを許されているんだよ」(←本当にそうなのかな?)

 

 

 

 

シリウスから来た女」の続編part2

先ずは通じない「『いい人してる』とはどういう状態を指し示しているか?」、これに絞って説明したいと考えたのだった。……当初から私にとって、「日本人の行動規範を有り体で具体的に説明している表現」だったからでもある。しかし……「本当の“事”」って、本人たちにはなかなか通じない“モノ”だった。】のつづきから

 初回の個人セッションへの参加人数は、高坂地区12名と板橋地区12名、計24名(1時間2,000円)だった。あの資料を見返してみると、如何に「私自身が薄っぺらだった」か?が理解できる。ということで、当時は「私自身がどうでも“良い人”していたな〜」という感想に尽きる。それさえも自分で自覚していたのだから「相当“タチ”が悪い」との実感もある。

 今更だが、どうしてこんな「めんどくさいやり方」しか思いつかなかったのか??が反省点だ。ただ思うに、私自身が「自分の言いたいことが分からなかったのではないか??」と読めてくる。だから資料を作成等して、言いたいことを整理して……そうだ、私が一番私の言いたい“事”を理解していなかったのかもしれない。……あはは〜★泣けて来る。

 それでも「あなたの話を聞きたい!!」と一生懸命せがんで来てくれた人たちに、今更ながら感謝至極だ。 R5/7/4㈫23:40