シリウスから来た女part 2&0次元からの真理の仕組み&ハピわくサークル

見得ない世界で横行する事実関係の説明がつかない「スピリチュアル詐欺ビジネス」。 見た目の華やかさから足を踏み入れてしまったばっかりに、各スピ教祖の利己満妄想スピの呪縛から、本物の霊的世界の様相を知り、みんなが真心から繋がって生きていくためのサークルです。

ハピわくサークルでは、「子どもと大人が安心して支え合える地域社会」を目指しています。 ひとりとひとり、みんながみんな、お互いがそれぞれで心豊かに生きられる、そんな色とりどりな工夫をご一緒にしていきませんか?

16.シリウスから来た女part.2「水と油はせめぎ合うのか?」

最初にご報告から。

今日久しぶりに「幸福の科学」ランキングを見てみました。そこで、タイトルに「女悪魔が……」とあり、まさか?私ではないとは思うけどと、一応記事を拝見しました。が、よく分からなかった……が正直な感想で。

それとはまた別の方、元信者さんのコウちゃんさんの記事

大川隆法は、主エル・カンターレではなく、仏陀でもなく、霊能力も遠隔透視能力も無い普通の人間で、ちょっと厳しい言い方になりますが、本ブログで見てきたように、嘘をついて、その嘘を真実のように堂々と振る舞い、その嘘を広めようとする人なのです。

 

受け入れ難いと思いますが、それが真実です。

 

大川隆法は嘘つきです。

とあり、その記事の中で以下の写真までご紹介いただけ、こんな場で大変恐縮ですが、感謝を申し上げます。ありがとうございました。とても参考になりました。

遠隔透視の際の映像をご覧になった方は分かると思いますが、Xに似た滑走路の遠隔透視をする際の大川隆法は、このような感じでした

この様に、印を結ぶ様なポーズをとり、本気で当てにいってるご様子でした

100メートルの深さまで降りていく際には

同じく印を結びながらミサイルサイロを降りていました

私は「遠隔透視」という言葉は初めて知りましたが、こんな感じで目を瞑って観るわけですね。この写真を見る限りですが、だいぶ「(自分に)酔っ払っている」ようですね。これじゃ、なんでも思う通りの「妄想」が見えて来そうですよね。

私の場合、必要があって何かを見なければならない時は、いつも目を開けて視ています。でないと、よからぬ霊に弄ばれないとは限らないから。

どんな霊との交信も、車の運転と同じで、きちんと目を開けて、その霊のいる環境=背景や様子等の、その時々の状況を的確に判断し、考察できないと事故ります。

霊が何を言おうが、そのような状況判断が一番大切だと思っています。大川隆法のように無闇矢鱈に自分を信じすぎると、真っ暗闇から血迷った判断をし、自分はすごい神が憑いているから「どうせバレやしない」と思い込んでしまっていたのかもしれませんね。とっくに足元を掬われているのにも気づかずに。

もしもですが、まだ退会が受理されていないと仰られている元信者のコウちゃんさんに、何か困り事厄介事や嫌がらせ等に遭われた際には、こんな私ですが、できる限りの事はなんでも協力いたしますので、ご遠慮なさらずにお声掛けください。再度になりますが、こんな場でご紹介してしまい、大変申し訳ございませんでした。こんな私ですが、どうぞよろしくお願いいたします。

 

以下引用文(四角枠)内が「太陽の法」からの原文、赤字が私の解説等です。(以下文中の太字は、原文での傍点箇所)

[(3-23⑵)[太陽の法:10真説・八正道]…

 一念三千論、そして、八正道へと話が進んできました。私は、この章をとじるにあたって、八正道の現代的意義を説明しておきたいと思います。

 人間は、盲目です。生きている人間は、自らの五官知だけにたよって生きてゆく方法のみをさぐり、その五官知を超えた世界には気づきません。しかしほんとうは、私たちの五官を超えたところに、真実の人生の意義というものはあります。逆説的ではありますが、五官は、五官を超えたものを悟らしめるよすがとなりうるのです。私たちは、真実の人生に対して盲目であることを単になげくだけではなく、盲目は盲目なりにしっかりと手さぐりをして、しっかりと五官をとぎすまして、真実なるものをさがしあてようではありませんか。そしてまた、その努力のなかにこそ、新説・八正道は、その姿をあらわしてくれるのです。

 八正道は、人間完成への道です。自らのあやまった方向を修正し、正しい人生を生きるための知恵なのです。

 人生とは、こう生きればいいといった模範解答があるわけではありません。なぜならば、人生の疑問の連続であり、その疑問は、各自のおかれた環境、経験、知識、習慣によって、それぞれ異なった内容をとってくるからです。その疑問に解答するのは、他人ではなく、ほかならぬ自分自身なのです。道をふみはずしているのは自分自身なのです。自分自身で軌道修正しなくて、一体だれがその軌道を修正してくれるでしょうか。

 そのためにこそ、ひとりひとりが、自らの生きているわくのなかで、「正しさ」というものを徹底的に追究する必要があるのです。

 では、その「正しさ」の基準とは、一体なんでしょうか。なにをもって、「正しい」とするのでしょうか。それに答えるのが、真実の宗教指導者の使命であり、今世における私の使命なのです。そもそも「正しい」に関する基準は、その人次第だろう。それを自分の意見をただ押し付ける、否押し付けて強要してしまう事こそ、これまでの邪宗教の手口だ。これって偏見=確証バイアスを押し付ける、ある一定年齢層的手口だから、現状だと仕方ないか。世界的に見ても「一緒」だと思えるが。

「正しさ」を知るとは、神の心を知るということなのです。神の生命を科学するということなのです。なにが善で、なにが悪であるか。なにが真で、なにが偽りであるか。なにが美で、なにが醜であるか。それを決めるのは、神の心なのです。そして、神の心を知るということは、 神の光のエネルギー体の性質を究明するということなのです。すなわち、神を理解するために徹底的に努力をするということなのです。←まじで?神を理解しようなんて、本気で言ってんのか?……う〜ん、一般人には「理解不能だから神」なんじゃないのか?!と。

 神の心、神のエネルギー体としての性質を理解していくいただくために、 私は、本書以外にも、霊言集を刊行して、高級神霊の声を伝えております。そして、この高級神霊の霊言こそ、神の心を知るための最大のよすがとなるはずです。ですから、高級神霊のことばを通して神の心を知り、「正しさ」をつかんで、自らの八正道の指針としていただきたいと思っています。←↓もう何を言っても無駄な気がして来た。

 私が、みなさんにお伝えしている高級神霊の声が、はたしてほんものかどうかを知る基準は、それによって、自らの心が感銘を受けるかどうか、自らの心が感動するかどうかです。ですから、みなさんが、もしそれらの書物に、魂の底から共鳴するものがなければ、霊言集はすてて、自らの頭で、合理的な基準を打ちたてて、「正しさ」を追究すればいいでしょう。しかしもし、高級神霊の霊言を、神近き人びとのことばだと信じられるならば、彼らの教える正しさを人生のヒントとして生きていくべきです。いずれにしても、最終的に「正しさ」を決定するのは、真我なる自分自身であり、自分自身の奥底にひそむ神性が納得し、共鳴するかどうかなのです。

 こうして、納得し、共鳴しえた自分の神性にてらして、さらに、つぎの各項目を反省の材料として、日々を生きていただきたいと思っております。

 一、自分は、正しくものごとを見たか。正しく人を見たか。神のような心でもって、人びとに接したか。

 二、自分は正しく語ったか。自らの良心に恥じるようなことは語らなかったか。他人を迷わし、不安におとしいれるようなことを語らなかったか。ことばで、他人を傷つけなかったか。

 三、自分は正しく思ったか。心のなかに悪い想念を抱かなかったか。悪しき想いは、世界をけがす。自分の心を清めようではないか。

 四、自分は正しく仕事をしたか。神のくださったダイヤモンドのような時間を、有効に使ったか。人に役立つように使ったか。

 五、自分は正しく生活をしたか。生活のなかに不平不満はなかったか。足ることを知っていたか。万物に感謝をしたか。

 六、自分が正しく神理を学んでいるか。神仏を念う気持ちが薄らいではいないか。一体どれだけの人の心を救ったか。

 七、自分は正しい人生計画をもっているか。自らの自己実現の祈りは、神仏の心にかない、自らの人格を高めるものか。

 八、自分は正しい精神統一の時間をもっているか。自らの過去の罪を反省し、その一日一日をしっかりふりかえり、守護、指導霊に感謝してから就寝しているか。

 右にあげた八項目が、真説・八正道にして、今日においても、その価値を失わない、人間としての正しい生き方です。そして、このように、毎日毎日を正してゆくことが、非凡な人生を生み、神仏の高みへと自分を押しあげていく力となるのです。

 

 

 

シリウスから来た女」の続編part2

(「個人セッションが必要」と、私が判断した理由から)

「宗教」という名の牢獄……】のつづきから

 今日Eテレを見ていたら、福岡伸一氏が「肉(生命)体はタンパク質で出来ている。そのタンパク質は植物が作る。」と言っていた。油も炭素、タンパク質も元を正せば炭素から。ということで、私たちの肉体には「水=H2O」と「炭素=C」が欠かせない成分だ。

 それが今、世界中で「脱炭素」運動を呼びかけている。にも関わらず、戦争や内乱で世界各地から業火や爆発が頻発している。その反動なのか?気象が荒れてゲリラ的豪雨……。水と油がひっきりなしにせめぎ合いをしているように感じる。

 これはある意味「内乱」なのか?……地球が今「牢獄」のような、どこに行っても逃げ出せない環境になってしまっているような。日本が「平和だから」……と言っていたのは、既に昔話のようだ。自己中からの事故や事件が多発している。

 これって何がいけないのか??何を正さないとならないのか??

 宗教は、昔は人の心を押さえ込んで統率を図っていたような気がする。その「統率」していた力が「洗脳」に変わり、いつの間にかどこに行っても「君主制」のような荒ぶれた価値観で、自由をただ求めたいだけの人たちを牛耳ろうと抑圧している。

 私たちの子どもたちの未来を考えると、何から手を出して良いのやら分からなくなってやしないだろうか??……この先の未来は…… R5/6/30㈮23:50