シリウスから来た女part 2&0次元からの真理の仕組み&ハピわくサークル

見得ない世界で横行する事実関係の説明がつかない「スピリチュアル詐欺ビジネス」。 見た目の華やかさから足を踏み入れてしまったばっかりに、各スピ教祖の利己満妄想スピの呪縛から、本物の霊的世界の様相を知り、みんなが真心から繋がって生きていくためのサークルです。

ハピわくサークルでは、「子どもと大人が安心して支え合える地域社会」を目指しています。 ひとりとひとり、みんながみんな、お互いがそれぞれで心豊かに生きられる、そんな色とりどりな工夫をご一緒にしていきませんか?

48.シリウスから来た女part.2「解離性同一性障害 その7:その死」

以下引用文(四角枠)内が「太陽の法(大川隆法著)」からの原文、赤字が私の解説等です。(以下文中の太字は、原文での傍点箇所)

[(3-51)[太陽の法:アガシャーの時代]…この章は、引き続き黙します。

 アトランティスは、いまから一万二千年ほど前には、科学万能の時代に入ってきておりました。しかし、このころから、一部の心ある人たちのあいだでは、「科学万能とは、必ずしも神の御心にはかなわない」「神のほんとうの御心はほかにもあるのではないか」などの疑問が呈示されるようになったのです。そして、大小さまざまな宗教改革家が出現してきては、人間のあり方を説いていました。これが、いわゆる百家争鳴の時代です。この時代は、約一千年つづきます。

 アトランティスが沈没しはじめたのはこのころで、いまから一万一千年ほど前です。まず最初に、大陸の東の三分の一が海中に没しました。さらに、一万七百年ほど前になると、西の三分の一が沈みました。アトランティス大陸は、まんなかの部分の三分の一を残すだけとなってしまいましたが、それでもまだ、洋上に帝国を築いておりました。

 そして、いまから一万四百年ぐらい前、紀元前の八千四百数十年前に、この地に、アガシャーという方が生まれます。アガシャーが生まれたのは、アトランティスの首都・ポンティスです。ポンティスは、人口七十万人ぐらいの都市でした。ポンティスには、代々王族が住んでおり、この王族の名をアマンダ族といいます。

 アガシャーは、アマンダ族の王子に生まれました。幼名をアモンといいます。アモンは、二十四歳のときに王位につき、アガシャーと名をかえました。アガシャーとは、「叡智を秘蔵せる者」という意味です。このアガシャー大王こそ、のちにイスラエルに生まれたイエス・キリストなのです。

 アガシャー大王は、ラ・ムー同様、政治家兼宗教家でした。王宮のなかには、高さ三十メートルもある、金色に輝くピラミッド型の神殿があり、ここで大王は、神事を行っておりました。アガシャー大王の政治で特徴があったのは、彼は毎月一回、十万人以上収容できる大広間に市民を集め、説法したことです。その当時でももちろん、現代のワイヤレス・マイクのようなものがありました。

 アガシャーの教えは、のちにイエス・キリストとして生まれるだけのことはあって、やはり「愛」を中心とした教えでした。彼の説法の内容は、毎回かわりましたが、基本的な教えは、つぎの四点に要約されます。

 一、神の本質は愛であり、私たち人間が神の子であることは、すべての人間の心のなかに、愛があることで証明される。

 二、愛の具体的な方法は、まず主なる神を愛し、神の分身である隣人を愛し、最後に、神の下僕である自分を愛するということである。

 三、一日一回は、ひとりで静かに祈り、自分の守護・指導霊と話しなさい。

 四、人間のえらさは、その人がほどこした愛の量ではなく、愛の質ではかられる。汝の愛の質を高めよ。

 アガシャーの教えは、立派なもので、その人格は、深く尊敬されておりました。しかし、かつて、聖クザーヌス(マイトレーヤ如来)が説いた理神論を奉じる一派は、アガシャーを敵視し、その命をねらうようになってきました。なぜならば、聖クザーヌスは、神は理性的なものであると説き、科学的、合理的なものを重視していたのに対し、アガシャーは、愛とか、守護・指導霊とかいう非科学的、非合理的、反理性的な教えを説いていたからです。

 すなわち、聖クザーヌス派の人びとは、アガシャーの教えを、人心をまどわし、アトランティスの古きよき伝統をなしくずしにするものだと考えたのです。

 確かに、アガシャーは鶏群の一鶴ともいうべき存在であり、その人格の高貴さは、万人が認めるものでありましたが、平均的なアトランティス人は、科学万能信仰におちいり、目に見えぬ守護・指導霊を信ずることができませんでした。やがて、理神論派は反乱を起こし、アガシャーをはじめとする王族たちをとらえ、広場で、生き埋めにするという暴挙に出ました。このころは、ちょうど二十世紀末の現代同様、神理が説かれると同時に、魔が競い立っていたのです。

 こうした暴挙のなかで、ただひとり、理神論派の追撃の手を逃れ、飛行船で王宮から飛び立った者がおりました。アガシャーの長男・アモンニ世です。このアモン二世は、エジプトに逃れ、 アモン・ラーとなり、太陽信仰をはじめることになります。エジプトのピラミッドの原型は、アモン二世が伝えた知識にその源を発するものです。

 反乱軍の暴挙によって、地上に肉をもっていた数多くの光の天使たちは処刑され、アトランティスでは、悪魔が勝利を得たかに見えました。しかし、彼らがつくり出した暗い想念のくもりが、全アトランティスをおおったため、地球意識に反作用が起こり、全アトランティス帝国が、一昼夜にして、海底に陥没するという信じられない現象が眼前に生じたのです。

 過去の多くの文明がそうであったように、この文明もある日突然に、大陸の沈没によって終焉を告げました。しかし、一部の人びとは、やはり飛行船によって逃れ、アフリカ、スペイン、南米のアンデス方面へと逃れ、それぞれの地で、新しい文明の種をまいていったのです。

 

 

 

シリウスから来た女」の続編part2

「浄霊」では、例外なくご本人の「浄霊したい」と強く願う意志が必要だ。その意志が見えない、この件の娘さんの場合、(途中省略)……所謂「甘えさせてくれる人」を欲していて、その上で「徹底的に甘え放題したいだけ」なのだった。こういう人は非常に厄介で、私のような立場の霊能者からすれば、ただの疫病神な状態だった。】のつづきから

 私も乗りかかった船ではないが、黙って見過ごすわけにはいかないと決し、この頃にはお客様各人に対し、名刺の効力よりももっと強力な威力を発揮する絵を描けるようになっていた。それは依頼者だけでなく、ご家族はもちろん、周囲の居住環境等含め、且つ必殺技「浄霊してしまう」、そんな効果を発揮する物を娘さんに描かせていただき、憑依する邪霊を根こそぎ取り払ってしまおうと目論んだ。

 そして、それを娘さんに告げた。が、元々勘が働く(もちろん自分達邪霊にとって都合が悪い絵だと分かっていたはずの)邪霊の言いなりだった娘さんから拒絶に遭い、私の方では「勉強会」を始める頃合いだったこともあり、その時は諦めざるを得ない形で身を引いた。

 その後には、すっかり疲弊されたお母様やご家族は、娘さんが入退院を繰り返すことで、なんとか精神と肉体的な安定を図っていたと推察していた。

 そんなこんなで月日は流れ……元々?ご本人には自殺願望(←本心か?は不明)があり、邪霊に「死ね」と後押しされながら、それを必死でとめようとしていたご家族が、その意思も弊えるほど「娘さんの挙動に“24時間”振り回されている」状況を鑑みてみると、その「娘さんの死」は、必然だったのかもしれない。

 

 それをご報告に、お母様が埼玉・川口リリアへご来場いただいたのは、約三年後の2010年二月だった。その時の会場は、「11階」という見晴らしの良い会議室だった。

 だが恐ろしいことに、会議室の窓の外には、なんと!!「かの娘さん」らしき怨霊(=禍々しい真っ黒な念体)の姿が。それが私の視線を避けながら、窓ガラスに「ドーン!!」だか「ダーン!!」だか、わざとらしくデカい音を立てて、嫌がらせをして来ていた。

 その時会場にはご来場者が30名ほどいらしたので、皆さんを驚かせてはいけないと思い、私は皆さんに視線を向けながら話をし、それでも音がする時には、チラっと窓の外を何気なくのぞいてみせたりしていた。……きっと「何か変な感じ」を抱いていた方もいらっしゃるかと思われた。

 そして講話会終了後、お母様から私へ再度ご相談を受けた。 つづく R5/8/1㈫23:38