今朝方起き抜けに前回記事の、文鮮明氏がどうして【真っ黒い汚泥水に頭を何度も何度も突っ込まされ続けている】のか?、その理由を(私の)頭の中が(勝手に)考えていた(というか、考えながら起きた)。……その前に、どうして?
・不肖私に「地獄の」、それも真っ暗闇なのに「光景」として垣間見えるのか?
・文鮮明氏の「地獄での状況」を窺い知る事ができるのか?等々、
当然の疑問が湧いて来る事も想定しています。が、まずは上述【私の疑問】から片付けたいと思います。
前置きとして不肖私は拙書の中でも述べていますが、「日本語は霊的世界を如実に表現している」唯一無二の言語です。それと同時に「現実界と霊的世界を結ぶ『架け橋』としての言語でもある」と。……この事実は私が幼い頃から日本語を習得していく過程で、実感&痛感させられ続けて来た多くの体験談で立証出来ます。
という事で、日本語には「顔に泥を塗る」という具体的な表現がありますね。まさか本当に泥を顔に塗る泥パックとは異なる意味ですが、スーパー大辞林では【恥をかかせる。面目を失わせる。顔を汚(よご)す】とありました。
……いったい「誰に?恥をかかせた」のでしょうか? ←正解は「イエスに」ですよね。
しかし「顔に泥を塗る」よりも、もっと激しい事態とお見受けする【真っ黒い汚泥水に頭を何度も何度も突っ込まされ続けている】これでは、「恥をかかせ、面目を失わせた」その行為以上に、イエスに何かを「着せた or 被せたor 重ねた」事等が推測されます。その最大の理由が、文鮮明という人物の生前の所業「救世主を騙り、それと偽り、非常に多くの民を“救う”どころか、その真逆の行為“巣食う”という始末の悪さと傍若無人の甚だしさ」ではないかと。今現在もこうした行為に加担している多くの教団サイドの人間も、ある意味文氏と同罪で、彼と同様の末路を辿る“事”が霊的世界では至極当然の“筋道”=「者の道理」なんですよね。 R5.5.10㈬23:31