シリウスから来た女part 2&0次元からの真理の仕組み&ハピわくサークル

見得ない世界で横行する事実関係の説明がつかない「スピリチュアル詐欺ビジネス」。 見た目の華やかさから足を踏み入れてしまったばっかりに、各スピ教祖の利己満妄想スピの呪縛から、本物の霊的世界の様相を知り、みんなが真心から繋がって生きていくためのサークルです。

ハピわくサークルでは、「子どもと大人が安心して支え合える地域社会」を目指しています。 ひとりとひとり、みんながみんな、お互いがそれぞれで心豊かに生きられる、そんな色とりどりな工夫をご一緒にしていきませんか?

44.シリウスから来た女part.2「解離性同一性障害 その3」

以下引用文(四角枠)内が「太陽の法(大川隆法著)」からの原文、赤字が私の解説等です。(以下文中の太字は、原文での傍点箇所)

[(3-47)[太陽の法:4レムリア文明]…この章は、引き続き黙します。

 ミュートラム文明の最期は、地軸の変化が原因となっています。いまから十五万三千年前のある夕暮れ、人びとは、空が異常に赤いことに気づきます。まるで血のような赤さで、空全体が染まっているのです。識者のもとへは、たくさんの人からの問いあわせが殺到しましたが、誰ひとりとして、その現象に答えることはできませんでした。

 その夜、十時ごろ、空の星がすべて流れ落ちてゆくのを見た人びとがいました。しかし、人びとは、それが流星ではないことに気づきます。星ではないのです。地球が揺れているのです。たとえば、海中に沈めたボールが、水上に頭を出すときに、ぐるりと、一回転するような具合で、地球がその首を振り、位置をかえたのでした。

 それから、数ヶ月たつうちに、その影響が、地上にはっきりと出はじめました。温暖なミュートラムに雪が降り、大地が凍りはじめたのです。ミュートラムは、農耕を主体とする文明だったのですが、このとき、この現象は、致命傷となりました。たちまちにして、人びとと飢えとの闘いがはじまったのです。地下の町をつくって生きのびようとした人もおりましたが、彼らも、わずか二、三年で、死にたえました。ちょうど季節が雨季だったことがわざわいして、降りつづいていた雨が雪とかわり、地上は二週間ぐらいのうちに五メートルを越す大雪にうずまりました。

 ミュートラムの首府・ラミュートは、このとき、全滅してしまったのです。しかし、一部の人びとは、船にのって逃れました。ですから、ミュートラム文明の一部は、やがてつぎの大陸へとひきつがれていきます。

 このころには、インド洋上には、まだ大きな大陸はなく、ちょうど、日本列島の二倍ぐらいの大きさの陸地があったにすぎません。ミュートラムから逃れてきた数千人の人びとは、ここで、着実に子孫をふやしていったのです。

 ところが、いまから八万六千年前、この陸地は、突然、浮上をはじめ、みるみるうちにインド洋上に、大陸ができあがってきます。 それから約一年ののちには、巨大大陸レムリアがその全姿を見せました。これは、かつてないほどの巨大大陸の浮上でした。東西三千五百キロ、南北四千七百キロのヒシ形の大陸です。この大陸には、やがて草木がおいしげり、肥沃な土地となっていきます。

 そして、いまから四万四千年前、この地に、その後、ギリシャに生まれて、ゼウスと呼ばれた人が出現したのです。このときは、ゼウスではなく、エレマリアという名です。このエレマリアは、文学、美術、音楽をはじめとして、芸術面で、万能の天才でした。レムリアという大陸名は、かつてのミュートラム大陸の首都・ラミュートからきていますが、このエレマリアという名も、エル・レムリアがつまって、エレマリアと呼ばれるようになりました。「エル」とは、神の光という意味です。つまり、レムリアに降りたる神の光というのが、その名の由来です。

 大聖エレマリアは、芸術を通して、人びとに生きるよろこびと、神の栄光を教えました。そして、レムリア文明は、エレマリア以降、音楽、絵画、文学、詩、建築、彫刻などの方面にたいへん栄えました。現代でも、芸術方面にすぐれた才能をのばしている方たちというのは、かつて、レムリアの時代に、勉強をしていた人びとなのです。

 大聖エレマリアのあと、 レムリアに巨大な光をもたらしたには、マヌです。マヌがレムリアに生まれたのは、いまから二万九千年ほど前です。彼のこのときの名を、マルガリットといいます。当時は、大師マルガリットと呼ばれておりました。マルガリットとは、競い立てる者という意味です。「競い立てる」には二つの意味があります。ひとつは、そのころすでに、全能の神と崇められていた大聖エレマリアと競い立つという意味、いまひとつは、芸術を通して各部族を競わせるという意味です。

 マヌ、すなわち、大師マルガリットは、芸術に、はじめて競争原理を持ち込んだ人でした。彼は、音楽、絵画、文学、建築、加工技術の五分野に部族をわけ、それぞれに最高のものを追求させました。そして、三年ごとに、最高の芸術を決める競技会を開催。その競技会で、最優秀となった部族を、その後、三年間、国を統治する支配階級としたのです。

 これは、芸術というかぎられた領域ではありますが、公平に競争させて、勝者を統治者とするという意味では、現代の民主主義、デモクラシーの先駆けともいえるものでした。しかも、芸術の究極には神がいるという教えでしたから、ある意味での祭政一致をめざしたものでもあったといえます。

 このレムリア文明も、いまから二万七千年前、忽然とインド洋上から姿を消してしまいます。それは、ある暑い暑い夏の日の午後でした。人びとは音楽に酔いしれているときでした。

 

 

 

シリウスから来た女」の続編part2

お母様に「般若心経はやめてください。そして、できれば『来た霊』の数を数えて、記録をとってください」とお願いした。少々不安げなお母様だったが、それでも「犬」を言い当てた私を信じてくださったようで、「やってみます」と応えられた。】のつづきから

 その後、お母様からお電話とお手紙で、集まって来る未成仏霊の数をお知らせいただいていた。これから記事を何回かに分けて、その時の記録表とお手紙(←抜粋して)とその頃の状況から浄霊に向けての経過をご紹介していく。

 まずは最初の個人セッション初日2006年3月20日から28日間にわたり、魂内に居た霊たちの様子をお母様が記録してくださった表をアップする。

 

お母様からの記録表

 ↑ 記録表内の冒頭【それぞれの人格が前向きに考えるようになって早く娘の所から天に行くことを決意していくようになる】と記されている通りだが、私が娘さんと出会った際に、娘さんの魂の中に居た者たちの証言(=もちろん私が直接、彼ら彼女らと会話し聞き出した内容)は、娘さんの肉体を利用して、各自がそれぞれ生前の虚しさや悔しさ等々の「憂さ晴らしをしている」ように聞こえて来た。それを受け、私は「あなた方が取り憑いている娘さん」に対して、酷いことをしているという自覚を持たせ、そう諭す言葉をそれぞれに吐いた結果と、後述する「名の効果」が、上記の経過にみられた、ということだ。

 この頃の私は「名刺屋」と呼ばれるほど、名刺の販売が好評だった。それは、私のチャクラ7種類それぞれの絵柄の上に、お客様のお名前を印刷して販売するという物だった。これはある人が、「小杉さん、私に名刺を作って!!」とご依頼されたのがきっかけだった。だが、その方達の情緒や霊性、また性格的な反応などをある意味向上させる、いわば「別人格?」になれるような効き目があった。←とても好評だったが、実際は、名刺は何せ「紙製」だったので、それも各個人によっても効き目の違いはあるが、それでも長く保っても一年半〜三年、短ければほぼ半年くらいしかその効き目が持続しない……それくらい、お客様の個人的な「汚れ」を吸収し、劣化してしまうお粗末な物だった。なので、最初はそれでもいいかと思えたが、私の意図として、各人の霊的進化の向上……なんて事よりも、「名刺の力」ばっかりに頼られたり、挙句「それ狙い」でご来場される事が嫌になり、結局一年四ヶ月で販売は中止にした。この名刺を、娘さんにもご購入していただいていた。特に「魂の中に居た霊たち」には絶大な効果があった。

 次回は、個人的な内容なので、あまり詳しくは晒せないが、次はお手紙の中から抜粋して。 つづく R5/7/28㈮23:52