シリウスから来た女part 2&0次元からの真理の仕組み&ハピわくサークル

見得ない世界で横行する事実関係の説明がつかない「スピリチュアル詐欺ビジネス」。 見た目の華やかさから足を踏み入れてしまったばっかりに、各スピ教祖の利己満妄想スピの呪縛から、本物の霊的世界の様相を知り、みんなが真心から繋がって生きていくためのサークルです。

ハピわくサークルでは、「子どもと大人が安心して支え合える地域社会」を目指しています。 ひとりとひとり、みんながみんな、お互いがそれぞれで心豊かに生きられる、そんな色とりどりな工夫をご一緒にしていきませんか?

45.シリウスから来た女part.2「解離性同一性障害 その4」お母様からの手紙

以下引用文(四角枠)内が「太陽の法(大川隆法著)」からの原文、赤字が私の解説等です。(以下文中の太字は、原文での傍点箇所)

[(3-48)[太陽の法:5ムー文明]この章は、引き続き黙します。

 レムリアの文明の最期は、とてもあっけない結末でした。芸術をきわめた彼らは、毎日午後になると、二時間ほど、音楽を楽しむ時間をもっておりました。突然グラグラッときたのは、まさに、人びとが音楽に興じている最中でした。 天井のシャンデリアが大揺れに揺れ、窓ガラスという窓ガラスが割れ、近代的な大音楽ホールが、あっけなく崩れ落ちてゆきます。大陸はまず、東端から沈んでゆきました。

 午後四時ごろには、大陸は半分ほどになってしまいました。そして、翌朝七時には、朝日がキラキラと青い海原を照らしているだけで、大陸は影も形もなくなってしまったのです。ただ、さまざまな死骸だけが、インド洋上の波間に漂っていただけです。レムリアの場合は、なんとも決定的でした。レムリア大陸に住んでいた二百五十万人の民は、ひとり残らず海中に消えてしまったのです。善人も、悪人も、まったく関係なく、すべてがなくなってしまったのです。

 しかし、文明だけは救われました。なぜならば、レムリアの人びとは、植民地をもっていたからです。植民地の名は、モア大陸。のちの名をムー大陸といいます。

 ムーは、太平洋上に浮かぶ大陸でした。その出現自体は、レムリア大陸よりも古く、いまから三十七万年前ごろ、海上に姿をあらわしました。それ以後、大陸の形は、さまざまにかわりましたが、レムリアの末期ごろには、現在のインドネシアあたりを中心にして、オーストラリアの二倍ぐらいの面積をもつ大陸でした。

 このムー大陸にも、何十万年も前から人びとは住んでおりましたが、やや程度は低かったといえます。大陸の北部の人びとは、漁業中心、大陸の南部の人びとは、狩猟中心、そして、中西部の人びとは、主として農牧を中心とした生活をしておりました。

 しかし、レムリアに高度な文明が栄えたため、やがてムー大陸の人びとも、レムリア民族の侵略を受けます。レムリアの人びとは、大きな帆船の大軍団を組み、いまから二万八千年ぐらい前から、ムー大陸の諸都市を植民地化しはじめました。そして、ムーの人びとの一部を奴隷として、レムリアに連れてきて、単純生産の作業をさせて、自分たちは学芸に酔いしれていたのです。そういう不調和の大きな黒い想念の雲が、レムリア文明の末期をおおい、やがてはそれに対する巨大な反作用から、大陸が陥没したのだといえます。

 植民都市ではあったとはいうものの、 ムー大陸にも、レムリアの文化は浸透してきておりました。そして、レムリア文明が滅失したあと、静かにではありましたが、ムー大陸にも、文明のきざしが見えてきました。

 いまから約二万年のむかし、このムーの地に、ゾロアスターの前身が出ました。この方のそのときの名を、エスカレントといいます。現在使われているエクセレントという英語は、このエスカレントという人名をその淵源にもっており、いずれも、「すばらしい」という意味です。この大聖エスカレントは、太陽の科学的なエネルギーを重視しました。太陽の光のパワーに、二種類の意味づけをしたのです。すなわち、第一は、神の栄光をあらわすものとして、光を「聖なるもの」とした。そして、第二は、光を「有用 なるもの」と位置づけました。

 第一点に関しては、光を聖なるものとしたわけですから、太陽であれ、月であれ、室内灯であれ、人びとは、光源を見ると必ず、両手を前にあわせて、片ひざをつき、おじぎをする。そういうしきたりがありました。この当時の礼儀が、のちの東洋文化の源流となって、人びとは、必ずおじぎをするようになったのです。

 第二の光を有用なるものとしたのは、どういうことでしょうか。エスカレントは、天上界から、クート・フーミー、のちに、アルキメデスニュートンとして転生した方たちによる指導、また、エル・ランティの科学的思考の指導を受けて、光パワーの増幅ということに注力しました。

 この時代の人びとは、太陽の光エネルギーの巨大増幅装置を使って、発電所がわりとし、室内灯の光としたり、船の原動力、あるいは、ものを加工したりするときのエネルギーとしたのです。すなわち、このころにはじめて、人類は科学的時代の幕あけの準備ができつつあったのです。

 都市の中心には、一辺の長さが三十メートルの正三角でできたピラミッドがあり、それが銀色に輝いています。ここで吸収、増幅された太陽エネルギーが、各町の中心にある一片の長さ十メートルのピラミッドに放射され、そこからさらに、各家庭の屋上にある一辺の長さ一メートルの小ピラミッドに供給されていたのです。

 このピラミッド・パワーは、のちのアトランティスにもひきつがれます。この太陽エネルギーの巨大増幅装置は、現在ピラミッド・パワーなどといわれているしくみにとてもよく似ています。

 

 

 

シリウスから来た女」の続編part2

【……「名刺の力」ばっかりに頼られたり、挙句「それ狙い」でご来場される事が嫌になり、結局一年四ヶ月で販売は中止にした。この名刺を、娘さんにもご購入していただいていた。特に「魂の中に居た霊たち」には絶大な効果があった。】のつづきから

 昨夜の私は、ここでは「抜粋して報告した方が適切か」と考えていたが、どこを抜粋して良いのやら?わからなくなり、個人名等は避けるとしても、せっかくお母様がしたためてくださった文面を無駄にしないためにも、以下【全文ノーカット】でアップさせていただくことにした。尚、( )内の赤字は私からの補足。

【前略

梅雨に入り毎日暑さが続いていますが、娘さん(=私の娘)の体の具合は少しよくなって来ましたか。

先生(=私)には早く手紙を出さなくてはと思いつつ、遅くなり申し訳ございません。先生から、心から考えさせられる手紙を頂き、とてもありがたく思います。頂いた手紙を心のクリニックの先生にも見せました。小杉先生の言葉は、(心のクリニックの)先生もうなずける。言葉!その通りなのだけれど、摂食障害の人には、思っていても出来ないのが現状なのよね!と言われました。娘は、6/2㈮から入院させています。

①小杉先生から、霊を寄せつけないカードを作って頂き、早速窓(ここに絵図の説明あり)のようにと玄関に9枚貼り、5/24㈬に先生(=私)に連絡入れた時から家族での般若心経もやめた後(←実際は、3/20㈪初回の個人セッションでは、般若心経の件までは聞けず、この5/24㈬のお電話で「般若心経を家族で唱えていること」を私が知ることとなった)、日々霊も減り、5/27㈯には0人なりました。5/7〜5/27まで246人の霊が来たことになります。

②その間、娘の守護霊となった子供達も毎日のように一定の時刻から朝方まで交替で見張りを行い、本当に連日ご苦労様と手を合わせる思いでした。

先生(=私)も心配していただいて、③2人の見張りの方(←私の眷属:ほぼ運慶•快慶の仁王像みたいな風貌の二名。当初からこのご家庭には、危険なご様子が窺えたので、何も知らせず「二人」を差し向けていた)をベランダに来ていることすら知らず、先生に連絡入れたときには、初めて知り、毎日来ている守護霊の子供たち(←この頃には、すっかり娘さんの「守護霊」の役目を果たすようになっていた)に聞くと、最初から見知らぬ人がベランダの右•左にいたような感じがすると言われた時は、本当に申し訳ないことをしたと感じました。先生の指導で、毎日守ってくださった霊に対し、ベランダに出て、ありがとうございます。気づかずごめんなさいと言いました。お茶も飲まさず、悪いことをしたと思っています。

④家族も、これで安心と思ってよかったね!これで守護霊の子供たちもゆっくり休むことが出来ると思っていましたが、(それはそれで「娘さんの心の状態」が改善されたわけではなく、あくまでも娘さんの魂の中に居た、それまで霊障を引き起こしていた「未成仏霊達の心が改善されただけ」なので、本体である娘さんが、今度は違う霊障を引き起こすようになり) 娘の耳に地獄へ落ちた者の霊の声が、しぼり出すような声で聞こえるようになり、娘の所へ入って来る、私の祖父・父・太一・陵紀・まさと(←中に居た霊達)に対しても早くここから出て行け。さもないと娘は死すなどと霊から霊に聞こえるようになり、特に陵紀(←気が弱い霊)を利用させやすいので、また悪いことをやらせたり、タバコを腕につけるとか、お金も取るとか、しまいには、娘に早く包丁で手首を切って死ねなど言われ、包丁を自分の部屋に隠すなどして、美雨が上から来て娘ちゃんのママ!娘ちゃんが部屋に柄の白包丁を隠しているから気をつけてと言ってくれたりしましたので、娘に聞くと隠していないよと言ったりしましたが、娘の部屋にあるペンを貸してくれないかと言って、部屋に入り、「包丁を隠していることを美雨から聞いたので、見せて」と言った時、私の方へ包丁を向けていましたので、困ったと思いましたが、その包丁を下に落としてと言った時、素直に落とした隙に娘を抱き、その間(娘さんの)が包丁を隠す事を繰り返しで、このままでは家族がダメになってしまうと思い、夜間の緊急ひまわり (これは都で行っている精神病院が中心に交替で電話相談を行っているセンターです。)

ここに電話を入れて、ようやっと話すことが出来て、話し始めると、電話を自分で切ったり、思い余って警察にも連絡入れましたら、現実に病院に通院しているので、主治医に相談した方が、子供の為にも良いのではないでしょうか?警察の方が直接家に行く事は、今の時点では、余計に何しに来たなどと興奮させることになるので、と言われましたので、クリニックに電話を入れ、状況を話し、予約ではない 6/1㈭に娘の姉も心配しながら仕事に出掛けましたが、私が連日睡眠が取れていないこともあって、心配だからと言ってすぐ帰宅されましたので、その足でタクシーを乗ってクリニックへ行き、先生と話し、何にしろ!入院させなくては、家族・娘が危ないと訴え、なります。⑤なります病院は、満席(=満室)で、入院させる事出来ず、東京近辺を探していただいて、早く入院出来る所を条件で話し終えた時に、眠りから覚めた娘が、クリニックへ行くたことを察して、直接クリニックへ私達が来ているかを確かめて、タクシーで乗りつけて来た時には、ビックリしました。

その後、2人で先生と話し、娘は、絶対に入院などしなくても大丈夫などと言っていましたが、(病院の)先生の説得で、大粒の涙を流して、入院して良くなることを約束で、西◯◯◯丁目にある精神科◯◯病院へ6/2㈮入院することが出来てほっとしています。

⑥入院当日は、私、姉、娘と一緒に病院へ行き、X線ICU、心電図検査し、直接二重の厚いカギのある個室の部屋に入れられ、その後(精神科の)先生と面接面談した時に(特に毎日起る時に、口のまわりが白い唾がついていると話しましたら)、先生から、完全に霊反応がありますと言われ、お母さん、エクソシストを知っていますか?と言われましたので、若い時に映画、テレビで見たことがありますと言った時、エクソシスト(電気)治療をしますと言われました。

三日間この部屋に入れられましたが、娘自身小4年の時に、突発性側弯になっているため、背骨が曲がっていることもあり、電気治療出来ず、手・足をロープで縛られての集中治療を行い、個室に移って4人部屋〜退院準備の部屋に入れるようになり、6/21㈬〜6/23㈮短期間外泊出来るようになりました。今まで薬で便を出していた状態でしたので、薬を出来るだけ必要以外に飲ませない方針ですから便秘が5日間も続き、39.7度まで高い熱が出るようになって、物を入れると口から吐いてしまうため、絶食で点滴を1週間位続いたため、内科・外科の専門病院へ行って、大腸の検査も連れて行かなければなりませんでしたので、忙しい日々を過ごしましたが、娘は、落ち着いて規則正しい睡眠を取ること出来るようになって良かったと思います。

⑦6/23㈮は、悪霊と言われた主人の兄さんの事もありましたので、主人の方の先祖供養を銚子へ行って来ました。娘は入院中のため家族3人で行きました。

6/26㈪主治医師と面談日でしたので、色々と話しを聞いた所、4〜5日の外泊を行ってから退院を決めていく予定にしていると言われました。

この度、家族は、色々と初体験の事だらけで、本当に考えさせられる事が多い日々を過ごすことは、大変でしたが、とても良い体験したと感じています。

この間色々な事もありましたので、6/18㈰に小杉先生とお会い出来ることを楽しみにしていましたが、行くことが出来ず残念出来でした。

また次回開かれる時には参加したいと思います。知人の方も、先生の話しを一度聞きたいと言っている人もいますので、都合がつきましたら、連れて行きたいと思っています。

追伸、同封いたしました代金は、もっと早くと思っておりましたが、遅くなって申し訳ございません。、カード代郵送代としてお受け取りください。お願いいたします。

それと娘から先生へ、渡してほしいと言われましたので、受け取って飾って下されば幸いです。長文になりごめんなさい。早々】 つづく R5/7/29㈯23:57