【さて早速ですが、前回記事の引用から。】←これが本日のお題「論理的思考で生きる」にとって不可欠な前回記事の引用です。…「誰か:訳わからん」←ですよね。
私達が日常生活及びブログ等で使う文字面=「文章」全般は、「線状性」という形式を持っています。それら形式には「体裁を整えただけのもの」も有るので、全部が全部「筋が通る内容」でもなさそうな気配も濃厚です。ですが、それさえもいくら歳を重ねても、ご本人でも「筋が通っているか?否か?」を判断・判別できない、なのに「自分(で)は正しい」と思い込んで文章、及び言葉を使っていらっしゃる方々も大勢おられます。
この「筋が通る」ように工夫を凝らす作業が「論理」です。
私が「ゼロ次元」を扱う際に、とても「大事」にしている作業が、その事象を論理的思考から判断し、中立性を保っているか?どうか?です。
昨日とても久しぶりに「シンジさん」からコメントをいただきました。大変嬉しく思っていたところ、本日偶然(←必然か?)にもシンジさんからリクエストいただいていた「国之常立神からのメッセージ」が出て来ました。なので、以下に二つほどご紹介させていただきます。
【H25/4/8㈪pm11:58 常:りっちゃん。(人間から)裁きを受けた事を「何も思っちゃ」いかん。せっかく(人間から)裁きをもらったんじゃ。だから人間は自ら裁かれるんじゃ。だから相手に何も思っちゃいかん。逆に、神に近くなったから(人間から)裁かれるんじゃからな。それが神に一歩近づいた証拠じゃ。本来神と言うものは裁きを与える者=物なんじゃ。裁かれなかったら裁きは起こらん。と言う事は、人間が自ら成長する手段として、「相手」を裁くんじゃ。さすれば自ずと裁かれる者になるんじゃ。…りっちゃん…立派に育ったのぉ。…これで何が起きても起こっても大丈夫じゃな…水から自らの祈りで、裁かれん者は、水から救(=掬)われる。それが道理、水の通り、それが自ずと道になるんじゃて。by国(これから十日間ブログ見ちゃダメ)⇦命令。】
【H25/11/25㈰pm3:21 久々に「月の砂漠(=私の作品)」に向き合う。爺ちゃんを呼ぶ。
「(りっちゃん、)本物の女子の“姿”を見せてやりなさい。(←顔の上横で赤い着物姿が私)本当の女子の姿を皆に知らしめてやりなさい。」と言われた。
[キャプション]
←目玉(◯◯)真っ白く光った瞳をしているので、よく見ると涙をたっぷり流している。
←実際もう少し比率的には小さい女児(というか龍神の姿がとっても大きくなっていて、紺バック(=宇宙)の水中を縦横無尽に泳ぎ回っているご様子)だわ。こりゃ。
←全然うまく描けないが「金龍神」】
↑こんな描写しかできない自分が実に不甲斐ないです。ですが、これも私の実力です。
話題を元に戻します。本日コメント欄に回答させていただきましたが、私は過去に於けるブログ活動の清算が残っていた事をすっかり忘れておりました。なので、懺悔のつもりで、これからその清算もここでしていこうと思います。
さて、論理的思考の大事さは、上記のような霊的な産物やその存在に、どのようにして騙されたり、または使役として役立てたり、と審神者のような作業をセルフでしなければならないという課題が事実としてあり、加えて現在では邪霊や悪霊等が超ウヨウヨしていると言われている実態に、どうにかして太刀打ちして行く為にはやはり「論理的思考」という作業が……と、ここでまた【前回記事の引用】を。
【現実をどう捉えるか?が肝心で、それにはやはり「見(=視=観=診)る目」やそれに値する「能力」を育てられなければ、いかに闇雲に騙され続けて死んで地獄に落ちてしまうか?、それが現実社会で起きていて、先人達のあからさまな失敗を教訓やバネに、新しい考え方を脳みそに与えて植え付け、真実が「本当は目に見えない“モノ”で成立しているのではないか?!!」】←これをどう修得してイクか?に尽きます。……って、ありゃ〜もう12時過ぎてしまった★彡という事で、おやすみなさい。 R5.4.28㈮0:05